三谷幸喜のオリジナル脚本で、1984年の渋谷「八分坂」という商店街を舞台にした群像劇のフジテレビ系ドラマ『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』(毎週水曜22:00~ ※TVer、FOD、Netflixで配信)の第5話が、29日に放送。三谷の伝統芸とも言える秀逸な脚本で、物語がついに覚醒を見せた。
【第5話あらすじ】絶望に打ちひしがれる久部
『夏の夜の夢』公演の初日、WS劇場では関係者を集めたミーティングが開かれ、舞台監督の伴工作(野間口徹)が1日のスケジュールを手際よく説明。その後、久部三成(菅田将暉)が「劇団クベシアター、旗揚げです」と高らかに宣言すると、場内は大きな歓声で包まれた。
おはらいを執り行うため、八分神社の神主・江頭論平(坂東彌十郎)と江頭樹里(浜辺美波)がWS劇場にやってくる。目の前を通り過ぎる倖田リカ(二階堂ふみ)を見てにやける論平。そんな父の姿に樹里はうんざりする。
WS劇場のステージ上に祭壇が設けられ、いよいよおはらいが始まる。神妙な静けさの中、久部は並々ならぬ思いでステージを見つめるが、ここからトラブルのジェットコースターが始まる。
パトラ鈴木(アンミカ)の肉離れから始まり、あのうる爺(井上順)が緊張で本番は無理だと、まさかの上がり症を発症。次々と起こる思わぬ事態に久部は対応に追われ、その混乱のなか舞台の幕が開く。
──そして舞台後。「素人を集めてシェイクスピアなんて、無理な話だったんだ」と絶望に打ちひしがれる久部。だがここである出会いが…。劇場に残っていた浮浪者のような高齢男性…それは伝説のシェイクスピア俳優(浅野和之)だった。
不評の声も多かった第1話は「正解」だった
「ヤバい! 面白い!」…これが筆者の第5話への感想である。終わり。──いや。手抜きではない。皆もこれまでのエンタメ体験を思い出してほしい。本来、真に楽しめた時の感想は「ヤバい」「面白い」、大体この2語で集約してはいなかっただろうか。理性をつかさどる前頭葉の指示を本能が上回る瞬間…。つまり、これは視聴者の最大の賛辞。そしておそらくは創る側が最も聞きたい言葉でもあるはずだ。
では、何がそこまで面白かったか。蛇足・野暮と知りながら、あえて言葉にする。
まず挙げられるのはテンポの良さ。これまでの展開からは信じられないほどのスピード感だった。次々と巻き起こるトラブルは「まさか!」「ウソでしょ?」「これもう無理じゃん!」の連続。かつコミカルで常に意表を突いてくる。ダレたシーンは一切なし。ハラハラとゲラゲラが仲良く同居し、先が気になり続けた1時間だった。普通はあまり焦らされるとストレスになる。だが、その焦らし本体をワクワクにする設計はさすが。「三谷脚本」のもはや伝統芸といえる。
次にキャラの立ち方。これも素晴らしい。例を挙げると、まずはアンミカ演じるパトラ鈴木。舞台前のおはらいで神主の論平に名前を呼ばれず、忘れられたばかりか、「私、呪われないですか?」の不安通り、その後突然の肉離れ。そして論平が二階堂演じるリカ推しであり、パトラは眼中にないという性格を、さすがの名優・坂東彌十郎が芝居で匂わせる。個性が強いアンミカ自身の世間のキャライメージを覆す、絶妙なアンミカ知名度の利用。さらには坂東の芝居で影が薄めだった論平も一気に愛されキャラへと昇華。この設計は秀逸の一言だった。
──ここで個人的に断言したいのが、不評の声も多かった第1話は、完全に「正解」だったこと。あれがなければ、今回起こった数え切れないほどのトラブル、それにまつわる掛け合いに、ここまで笑え、ハラハラドキドキもしなかったのではないか。
そして次に、期待感の起き方の絶妙さ。ラストに判明した伝説のシェイクスピア俳優の老人の登場。そしてWS劇場に否定的だった巫女の樹里が、どのような心境の変化を見せるのか。劇場オーナーのジェシー才賀(シルビア・グラブ)が久部シアター躍進への鍵か? それに、ファム・ファタール(=男を幸福へも破滅へも導く運命の女性)感満載のリカが、その魅力で大スターとなる予感も…。多軸構造での物語の“引き”が伏線として用意されており、今後来るであろうカタルシス満載の“約束の土地”を強く意識させられた。
…などなど。正直、数え上げればきりがない。だがそれらを語る言の葉たちすべてが筆者の「ヤバい! 面白い!」に込められている。第1話から離脱せず見続けた方には「おめでとう」も加えたい。


