3番目に注目されたシーンは20時22分で、注目度72.9%。ていが蔦重を救う決意をするシーンだ。

須原屋市兵衛と長谷川平蔵、宿屋飯盛たちは蔦重の身を案じ、今後の手立てを協議していた。先ほど倒れてしまったていは目を覚ますと、布団から出てみなのいる部屋へ向かうと、「あの…主人の命乞いなどしていただくことは…」とうかがいを立てる。しかし鶴屋喜右衛門は「累が及ぶことを考えれば、命乞いはできませんよ。皆、店も家もあります」と重々しく返した。その顔にはいつもの柔和な笑みはない。

「愚にもつかぬことを申しました。お許しを」頭を下げるていに喜右衛門がつぶやく。「訴え出られるとすれば、おていさんしかいません」思わぬ言葉にていは顔を上げた。飯盛は公事宿にいる者によると、厳しい裁きは朱子学の教えとは矛盾しているということらしい。「では、その矛盾をつけば」ていの目にかすかに光が宿った。平蔵はうまくいくとは限らず、かえって怒りが増し命乞いした者もただでは済まないかもしれないと釘を刺す。ていは目を閉じ思いを巡らすと「参ります。座して死を待つだけなのであれば」と言った。その言葉には並々ならぬ決意が感じられた。

ていを称える投稿続出「めっちゃカッコいい!」

ここは、健気なていの毅然とした姿に視聴者の視線が集まったと考えられる。

老中・松平定信に反抗心を隠さない蔦重は激しい取り調べを受けた。蔦重の身を案じる仲間たちだが、処罰を受けるのが2度目ということもあり、厳しい処分は免れないと思われた。ただひとつの光明は飯盛が公事宿で耳に挟んだ情報。ていはそれに一縷の望みをかけた。

SNSでは「主人も女将さん処罰されたらお店はおしまいだから一か八かだったね」「今回のMVPは間違いなくおていさんだけど、栗山先生も公正な方でよかったよ」「今まで蓄えた知識で窮地の夫を救うために立ち上がるなんて、めっちゃカッコいい!」と、ていを称賛する投稿が集まった。

公事宿は地方から江戸へ訴訟や裁判のために出向いた人々が宿泊する宿屋であり、訴訟書類の作成や提出、手続きの代行などを行う施設。公共・法的な手続きと宿泊サービスを兼ねていた。ていが立ち向かった柴野栗山は江戸時代中期の儒学者であり、岡田寒泉、尾藤二洲とともに寛政の改革を支えた寛政三博士の一人として知られている。

ちなみに後期には岡田寒泉に代わって古賀精里が入る。讃岐国牟礼村に生まれ、若くして江戸へ遊学し湯島聖堂で朱子学を修めた。1767(明和4)年に徳島藩に儒者として仕官し、1776(安永5)年には藩主の侍読も務める。1787(天明7)年に老中・松平定信に招かれ幕府に出仕。定信の思想的支柱として「寛政異学の禁」を指導し、朱子学を官学として確立する役割を果たした。

1790(寛政2)年に湯島聖堂の最高責任者にも任命され、学問の振興に尽力する。晩年には白内障を患ったが、文化元年に回復した。その喜びを詩に託し、友人・三井惟親に贈ったという逸話も残されている。朱子学は人は理に従って生きるべきという考えを中心に、社会秩序や道徳を重んじた儒教の学問体系。南宋の朱熹(しゅき)によって創始され、江戸時代の日本でも武士の教養や政治理念に大きな影響を与えた。