2番目に注目されたのは20時36分で、注目度73.3%。身上半減となった耕書堂が江戸の名物となるシーンだ。

身上半減が実行され、財産だけでなく暖簾や畳、ありとあらゆるものが半分となった耕書堂で、ていやみの吉(中川翼)ら奉公人の表情は暗い。見舞いにきた鶴屋喜右衛門や村田屋治郎兵衛(松田洋治)と今後について相談をしていると「いやぁ、はははははは! ほんとに半分だねぇ!」と、大きな笑い声が聞こえてきた。大田南畝(桐谷健太)である。その横には宿屋飯盛(又吉直樹)の姿もあった。

蔦重が出迎えると「蔦重! 見に来たのだ! 世にも珍しい身上半減とは、いかなるものか見ておかねばと思うてな」と南畝は明るく振る舞う。店の周囲には多くの野次馬が集まっており、笑い声も聞こえてくる。身上半減はすでに江戸中の評判になっているようだ。蔦重が口元ににやりと笑みを浮かべると、みの吉に板と墨、筆を用意させた。蔦重はこのまま店を開けると言って、「身上半減ノ店」と看板に書きつけた。「身上半減、身上半減の店は日の本で蔦屋だけ!」蔦重は身上半減を逆に宣伝に利用することを思いついたようだ。「そうきたか!」南畝が声を上げると、ていやみの吉も蔦重の意図を悟り顔をほころばせる。この瞬間、耕書堂は新たな江戸の名所となり、山東京伝も手鎖になった作家として名声を高めることとなった。

「蔦重のメンタルがあまりにも人間離れしている」

このシーンは、商魂たくましい蔦重に視聴者の注目が集まったと考えられる。

前代未聞の身上半減の沙汰は、耕書堂のあらゆるものの半分を奪っていった。暖簾や看板まできっちりと半分にするあたり、定信の几帳面さがうかがえる。この新しい刑罰は話題となり、耕書堂には多くの人が集まった。そして、蔦重は目ざとくこの状況を利用する。

SNSでは「蔦重のメンタルがあまりにも人間離れしている」「皮肉だけど蔦重はやっぱり追い詰められたほうが上手くやるんだな」「普通なら死ぬところを生き残った=縁起が良いの精神は図太すぎるね」と蔦重のしたたかさにコメントが集まった。

身上半減は財産を半分没収するという経済的制裁。身体拘束を伴わない代わりに、経済的・社会的に大きな打撃を与える処分だった。史実では処分を受けた蔦屋重三郎は、その後出版ジャンルを転換し、美人画や役者絵などの絵本分野に力を入れるようになる。これが喜多川歌麿や東洲斎写楽の活躍につながったともいわれている。

山東京伝が受けた手鎖は、江戸時代に用いられた刑罰および未決勾留の手段の一つ。瓢箪型の鉄製手錠を両手にかけ、一定期間自宅で謹慎させる形式で、牢に収容するほどではない軽微な罪や未決囚に対して科された。刑期は30日・50日・100日などがあり、期間中は日常生活に著しい支障をきたした。軽微な刑罰とされながらも、両手を拘束されたまま生活するため、食事・排泄・入浴などすべてに介助が必要で、実際には大変な生活を強いられる処分だった。京伝はおとなしく刑に服したが、手鎖の封印を破らずに錠に油を塗って滑らかにし手首を抜き、点検時に再び手鎖をはめてやりすごした者もいたそうだ。ちなみに京伝の父・岩瀬伝左衛門も家長ということで連座して処罰を受けたといわれている。

行事役だった吉兵衛(内野謙太)と新右衛門(駒木根隆介)が受けた江戸払いは、罪人を江戸市中から追放する処分。公事方御定書に規定されており、江戸の町の境界である品川・板橋・千住・四谷の大木戸、および本所・深川の外へ追放され、江戸市内への立ち入りを禁止された。死刑や遠島に比べて軽い刑罰とされたが、社会的信用の喪失や生活基盤の崩壊を伴うため、実際は厳しい処分であり、特に町人にとっては商売や人間関係の断絶を意味し再起が困難だった。