2番目に注目されたのは20時23~25分で、注目度74.2%。蔦重(横浜流星)が新しいビジネスプランを思いつくシーンだ。

夜通し飲んで蔦屋に朝帰りした大田南畝(桐谷健太)、朱楽菅江(浜中文一)、元木網(ジェームス小野田)は、そばをすすりながら迎え酒をあおっていた。鶴屋や西村屋という老舗の本屋との実力差に悩む蔦重を、「けど、そこがいいとこじゃないか。だからこそ、ずっとやってるやつには出せねえもんを、出せんじゃないか。細見がせんべえみてえになった時は『そうきたか』って」と、南畝が励ます。菅江や木網も、蔦重の枠にとらわれない斬新さを買っているようだ。

3人の言葉を聞いた蔦重は自信を取り戻し、「じゃあ南畝先生、うちから青本書いてくだせえよ」と切り出した。驚く南畝に、「へえ。狂歌集が出りゃ来年は間違いなく、四方赤良の年になりまさ。そこに先生が書いた青本をあえてあてる。こりゃ間違いなく『そうきたか!』ってなりません?」と、蔦重は自信満々である。菅江と木網にも狂歌の指南書を依頼する蔦重を見て、「蔦重、調子戻ってきたんじゃねえ?」と、歌麿もうれしそうだ。蔦重の頭にはどんどんと新しい案が浮かび始めた。

「蔦重、スランプが短すぎる!」

このシーンは、モチベーションを取り戻した蔦重に、視聴者の関心が集まったと考えられる。

鶴屋には北尾政演の起用で出し抜かれ、西村屋には錦絵制作において年季の差を思い知らされた蔦重は、プロデューサーとしての自信を失くしつつあった。しかし南畝たちは蔦重の斬新なプロモーションを高く評価しており、それは固定観念に縛られた老舗には決して真似できないものであると蔦重を励ます。その言葉に自信を取り戻した蔦重は、「そうきたか」をテーマに次々とアイデアを生み出した。

SNSでは、「的確なヒントをくれる南畝先生も、ヒントですぐにアイデアを思いつく蔦重も聡いなあ」「蔦重、スランプが短すぎる!」「蔦重の本や錦絵、狂歌にかける情熱が見ていて気持ちいい」と、立ち直った蔦重に注目が集まった。

蔦重の仕事ぶりを評価した1人である朱楽菅江は、本名を山崎景基といい、江戸の治安維持を担った先手組に所属する与力だった。大田南畝や唐衣橘洲、平秩東作(木村了)とともに江戸の六歌仙と呼ばれた内山椿軒に師事した。その妻である節松嫁々(ふしまつのかか)も狂歌師であり、2人で朱楽連を結成し活動している。

蔦重のもう1人の理解者である元木網は、通称を大野屋喜三郎といい、京橋北紺屋町で湯屋を経営しながら、狂歌師として活躍した。湯屋はほかの業種と同じく株仲間があり、営業軒数は厳しく制限されていた。当時は庶民の家には火災を防ぐために風呂を設けることが禁じられていたそうだ。入浴料は大人が約6~8文、子どもが約4文だった。現在の貨幣価値にすると1文が約25円なので、大人は約150~200円、子どもは約100円になる。割と妥当な価格設定といえそうだ。