JR根室本線の富良野~新得間が廃止されることになり、3月31日をもって営業を終了する。明治時代に開業し、最盛期は急行列車や特急列車も走ったが、石勝線開業でローカル線に。台風の影響で、廃止までバス代行区間が存在した。営業終了を前に、富良野~新得間で列車と代行バスに乗車した。

  • 幾寅駅は映画『鉄道員(ぽっぽや)』のロケ地として知られる。映画撮影時のセットはもちろん、劇中で「キハ12」として使用された「キハ40 764」のカットモデルも展示されている(筆者撮影)

富良野駅からキハ40形の普通列車に乗車、東鹿越駅へ

3月だというのに、札幌市内は雨に混じって雪が舞っていた。特急「ライラック」に乗って札幌駅を出発し、滝川駅で根室本線の普通列車に乗り換え、富良野駅へ向かう。富良野市内は雲が多いものの、雪は降っていなかった。

  • 富良野駅は1900(明治33)年開業。富良野線と接続する(筆者撮影)

富良野駅から東鹿越行の普通列車に乗車するため、駅員に改札を頼むと、「4番線の待機列に並んでください」と言われた。跨線橋を渡り、ホームへ移動すると、キハ40形2両編成の前に30人ほどが列をなしていた。ホーム上にカラーコーンが設置され、係員の誘導で列に並ぶ。

東鹿越行の普通列車は、JR北海道標準塗装の「キハ40 1761」と、「北海道の恵み」シリーズの「道東 森の恵み」デザインとなった「キハ40 1779」の2両編成。ドアが開くと、乗客たちが順番に列車に乗り込んでいく。筆者は「道東 森の恵み」車両を選び、席に座った。ボックスシートはすぐに埋まったが、席種を選ばなければ座ることは可能な状況だった。

普通列車は11時5分、富良野駅を定刻通り発車。廃止直前で多くの利用が見込まれることから、JR北海道は3月16日のダイヤ改正で富良野~新得間の接続を改善した。この列車は11時50分に東鹿越駅へ到着し、同駅12時5分発の代行バス(新得行)へスムーズに乗り換えられる。

途中、布部駅に着くと、多くの乗客がスマートフォンやカメラを向けた。布部駅は国民的ドラマ『北の国から』の第1話冒頭で、主人公の一家が降り立った駅。脚本を担当した倉本聰氏による「北の国此処に始る」と記した記念碑が駅前に建っている。

  • 鉄道と代行バスの接続駅となった東鹿越駅(筆者撮影)

列車は雪の残る山地を進み、東鹿越駅へと向かう。雪の残り方が札幌近郊とまったく異なり、春が待ち遠しくなった。列車はほぼ定刻に東鹿越駅へ到着。不通となっている東鹿越~新得間を結ぶ代行バスに乗り継ぐ。

鉄道がなくなることで逆に盛り上がっている? 幾寅駅で考える

東鹿越駅で乗り換えた代行バスは2台態勢で、「乗れない人がいる状況を絶対に防ぎたい」という意志が感じられた。筆者が乗車した1号車には、20名ほどが乗っている。

  • 東鹿越~新得間で使用される大型バス(筆者撮影)

代行バスは12時5分、定刻通りに出発。かなやま湖沿いを50km/h前後で走り、幾寅駅に到着した。

幾寅駅は、正式名称よりも「幌舞駅」という名で呼んだほうが有名だろう。浅田次郎氏原作の映画『鉄道員(ぽっぽや)』でロケ地として使用され、高倉健さんや広末涼子さんらが撮影に訪れた。駅舎および駅前には、撮影で使用されたセットや、劇中で「キハ12」として登場した「キハ40 764」の先頭部分が展示されている。

  • 雪を被った幾寅駅。バスは駅前ロータリーまで走る(筆者撮影)

映画のロケ地として有名な幾寅駅は、南富良野町の中心駅でもある。駅から徒歩5分ほどの場所に南富良野町役場があり、駅周辺は商店や飲食店などが多い。駅近くの店で昼食を取った後、少し歩いてみることにした。

幾寅駅の近くにある「幾寅原野東9号踏切」へ向かう。不通となるまで機能していた踏切は、列車が来なくなり、役割がなくなったためか、遮断棒が撤去されていた。車も一時停止することなく、踏切を走り去っていく。駅の隣にある「みなみふらの町情報プラザ」では、『鉄道員』と根室本線のグッズが販売されており、買い求める人を何度か見かけた。

  • 踏切は遮断棒が撤去され、機能していない(筆者撮影)

人が少ないながらも、町の暮らしの断片を見ることはできた。役場がこの地にある限り、幾寅駅周辺が一気に衰退することは考えにくい。昼食を取った飲食店の店員に影響を尋ねてみると、「鉄道がなくなることで、逆に盛り上がっているというか…」と話していた。考え方、捉え方は住民ごとに異なるだろうが、こういった話を聞いていると、必ずしも「鉄道の廃止=地域の衰退」というわけではないことを痛感する。

日本三大車窓「狩勝峠」を越えて新得駅へ

幾寅駅周辺で3時間ほど過ごした後、約5分遅れて到着した同駅15時35分発の代行バスに乗り込む。落合駅に到着する頃、雪が舞い始めた。

代行バスはここから狩勝峠にさしかかる。かつての根室本線落合~新得間は25パーミルの急勾配と最小半径180mのカーブが連続する難所で、峠越えの機関車を配置する機関区も置かれていた。戦後になって急行列車や特急列車が走るようになると、スピードアップの要望が増え、1966(昭和41)年に勾配とカーブを緩和した新線が開業。その際に狩勝信号場と新内駅が廃止され、旧線はその後、国鉄の実験線として使用された。

機関士らの苦労は想像に難くないが、この峠越えは日本三大車窓に数えられるほど風光明媚な風景が続いていた。鉄道紀行作家の宮脇俊三氏も、『時刻表昭和史』で狩勝峠に触れている。一方、代行バスは蛇行しつつも、難なく狩勝峠を乗り越えていく。

  • 石勝線との接続駅である新得駅。すべての定期旅客列車が停車する(筆者撮影)

幾寅駅到着時の遅れも回復し、代行バスは16時30分、新得駅に到着。11名の乗客が降りていった。駅前広場が工事中で、かつて見られた火夫像が一時的に見られなくなっている。そばが有名な新得で駅そばを食べたかったが、16時30分閉店とのことで、残念ながらありつけなかった。

その後、筆者は新得駅から特急「おおぞら」で札幌へ。新狩勝トンネルに入ってしばらく右側の車窓を見ていたが、根室本線との分岐点を見つけることはできなかった。

根室本線富良野~新得間の廃止を前に、3月30・31日の2日間、札幌~富良野間で臨時列車の特急「ふらの」が設定され、富良野方面の輸送を増強するという。富良野~東鹿越間の列車、東鹿越~新得間の代行バスは3月31日をもって営業運転を終え、廃止後はバス輸送に切り替えられる。今後は廃止に伴う公共交通の変化と利用の推移が焦点になっていくだろう。