大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の第37回(脚本:三谷幸喜 演出:小林直毅)はサブタイトルの「オンベレブンビンバ」に尽きた。
すでに第36回で37回の予告が流れたときからSNSはざわついていた。「オンベレブンビンバ」とは何か? 検索してもわからない。あれではこれではと推測する鎌倉殿ファンたち。これはもう新しいカタチの考察ドラマではないか。ミステリーでなくても考察ドラマを作ることができる。
結果的には存在しない造語だった「オンベレブンビンバ」。存在しない言葉とそれに翻弄される人々の物語には、同じくNHKのドラマ『岸辺露伴は動かない』の一編「くしゃがら」(2020年)がある。人気漫画『ジョジョの奇妙な冒険』のスピンオフ『岸辺露伴は動かない』のノベライズ版の実写化で、謎の言葉「くしゃがら」に取り憑かれていく恐怖を描いた傑作ホラーだ。
ほかに、北川悦吏子氏が『世にも奇妙な物語』(フジテレビ)で脚本を書いた「ズンドコベロンチョ」(1991年)、流行りものはなんでも知ってると思っていた男が「ズンドコベロンチョ」を知らず、知りたくて知りたくてたまらないという短編コメディである。恋愛ドラマの旗手・北川悦吏子氏が意外にもコメディを書いているのだがこれがなかなかおもしろく伝説のドラマになっている。
「くしゃがら」「ズンドコベロンチョ」「オンベレブンビンバ」どれにも濁点が入っている。謎の言葉には濁点が必須なのか。
さて。『鎌倉殿』では謎の言葉「オンベレブンビンバ」は北条ファミリーの久しぶりの団らんを彩った。かつて大姫(南沙良)が唱えていた呪文はなんだったかと、酒を酌み交わしながら北条ファミリーがなかなか思い出せずにおかしな言葉を思い浮かべては笑い合う。
これほど頭を空っぽにして肩の力を抜いた時政(坂東彌十郎)、義時(小栗旬)、政子(小池栄子)、実衣(宮澤エマ)を見たことない気がする。ただひとり、時房(瀬戸康史)は、別の場面でにっこり笑って「北条はひとつです」と言うようなまったく邪念がない人物のため、いつもとあまり変わらなかったが。
この団らんを最後に北条家は分裂していくのだなと思うと松尾芭蕉の俳句「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」のような一場面である。楽しいことが終わってしまう虚しさや寂しさ。『鎌倉殿』の場合、それのみならず、意味のない言葉を語り合う家族の姿が、無意味な足の引っ張りあいをしているようにも思えてくる。
最初は京都から辺境にある伊豆の豪族のプライドを懸けて力を持とうとしただけだった北条家が、他者を陥れて殺戮に塗れるようになって……。彼らはもはや「オンベレブンビンバ」のように、自分たちのしていることを理路整然と説明できないのではないだろうか。変な言葉が、言葉にならない彼らの嘆きにも聞こえて胸が締め付けられた。
理屈じゃない。その最たるものが時政とりく(宮沢りえ)の夫婦愛である。北条ファミリーが集まって笑っているときりくはいない。あえて時政が呼んでいないのだ。
時政が権力志向になって度が過ぎることをしているのはりくの差し金である。「覚悟を決めた男の顔ってこんなにも艶っぽいのですね」と時政にしなだれかかるりく。結婚した当初、ニオイ(加齢臭?)をいやがっていたときとはえらい違いである。時政はこの欲望の深い妻の希望を叶えるために行動しているが、それが決していいことではないことをわかっている。
「わしにとって一番の宝はおまえじゃ」とりくを喜ばせることを選び滅びの道を覚悟する。そして伊豆の酒をもって義時たちを誘い、「オンベレブンビンバ」「ウンダラホンダラゲー」「ピンタラポンチンガー」「なんたらクソワカ」とやるのだ。つまり、このとき義時と政子は時政を執権の座から引きずり降ろそうとしていたわけで、そう思うと「なんたらクソワカ」とやっていたとき、野菜の育て方を時政に習っていたとき、完全に頭空っぽになっていたわけではない。家族の終わりをわかって笑っている。そこが悲しい。「オンベレブンビンバ」はやけっぱちの断末魔だ。
「全部大泉のせい」という言葉でSNSが盛り上がったことがあったが、いまの鎌倉の状況は全部りくのせいだろう。家族の集まりに呼ばれないとき、亡き息子を想っているりくの表情は宮沢りえの渾身の演技で深みがあったが、それと権力を求める欲望の深さは別。
国の一大事が女の浅はかな言動からということはここにはじまったことではない。第36回の歩き巫女(大竹しのぶ)が言う「悩みは誰にもある」「はるか昔から同じことで悩んできた者がいることを忘れるな」ではないが、古今東西そういうことはよくある。愛ゆえに間違ったことを押し通してしまうとは人間とはなんて愚かで弱いものなのだろうか。
三谷幸喜氏が描いた物語ではりくが時政をそそのかしていることになっているが、実際はどうだったのだろうか。こんなにも女性はあけすけで浅はかでやや棘があるものなのか。政子とのえ(菊地凛子)と千世(加藤小夏)のやりとりもピリピリしていた。それに比べて男同士は敵になったとしても何かを共有しているようで、まるで、“男はつらいよ”というように見える。時政が時房に「お前はどっち側(時政か義時か)なんだ」と聞くとき、お餅をふたつ、どっちが柔らかいか選んでいる場面(このとき「北条はひとつ」発言をする)にも、無邪気な時房を相手にする時政になんともいえない哀愁があった。
(C)NHK