• リベリアにて

――そういった、上出さんが現地で感じられていた葛藤や心の動き、非常にフラットに作られている印象のあった番組とは違って、書籍版には織り込まれていますね。

はい。それに、ここには書いていない葛藤も僕の中にはあるんですよ。

――それは、どのようなものですか?

「僕は視聴者を信じているから、番組の中では価値判断を誘導しない」という結論に至ってはいるんですけど、そこから何周も回って「実は視聴者を信頼してないんじゃないか?」と思ったりもしたんです。だって視聴者を完全に信じたら、僕は僕のジャッジを提示してもいいかもしれませんよね。それに対して「いや、全然違うじゃないか」という意見が起こったり、「たしかにそうだ」みたいな声が上がったりするのが、実は成熟したお客さんの反応なんじゃないか?とも思ったりもして。

――それでも、最終的には今の番組のスタイルを選ばれました。

はい。そういう葛藤をしたときに、結局「視聴者にとって、どっちがスリリングでエキサイティングなのか?」と考えて、あえて価値判断を加えずに提示することのほうがこの時代には新しいだろうし、視聴者が“迷う”という面白さが作れるんじゃないかと思って今の形をとったんです。でも本当に、ありとあらゆる段階で葛藤はしていますね。

――番組を観るだけでも、“正しさ”というものについて考えさせられます。上出さんもそれについて、すごく考えるようになったのでは?

“正しさ”には、とてつもなく苛(さいな)まれます。この中で僕がいちばん言及しているのも、彼らにカメラを向けるということのそもそもの意味と、なぜそれが僕に許されうるのか? ということについてで。最後の最後で自分を納得させるための答えは出していますけど、それでもやっぱり僕らの活動が“暴力”であるという葛藤は、今もずっとありますね。

■放送自体も迷ったロシアロケ

――執筆にあたってVTRを見返して、渦中ではなく映像を観て改めて俯瞰(ふかん)したときに感じたものもありましたか?

ありますね。やっぱり、飛び込んでいる最中はかなりアドレナリンが出ちゃってますし(笑)、その場での僕の脳みそは「安全にここを出ていく」ことが最優先事項になるんですよ。あとは、それとギリギリ拮抗して「面白いものがどうやって撮れるのか?」。この2つが、現場では脳みそのすべてを占めるんです。

食欲もまったくなくなりますし、そこでは“正しさ”なんてことは、どこかに行ってしまう。だから、番組自体の編集段階でもかなり考えを巡らせましたけど、改めて今回今までのロケを洗い直したときに「あのときの自分の判断は正しかったのか?」みたいなことはかなり考えましたね。

  • ロシアにて

――特にそれを考えたのは、どんなときでしたか?

たとえば、ロシアの序盤でドラッグの現場とかを巡ったりするところでは、結構吐き気がするぐらい「自分って、何をやっているんだろう?」と思った瞬間があるんですよね。これは現場でも結構思ってたんですけど、改めて振り返ると本当に「書きたくないな」と思うぐらい、自分の行いがすごく下品に見えて…あのロケは、放送するかどうかも迷ったぐらいなんですよね。オチが結構気持ち悪いじゃないですか?

――最後に明らかになった、案内人の素性が…。

そう。それでいつの間にかロシアの権力側に加担してた、みたいなことがあって。でも、全部を振り返るというのはすごく面白い経験でしたし、今後にも役立つなと思いました。

――しかも、それぞれ場所も人も全然違いますからね。

そうですね。本当に見事なぐらい。やっぱり1つの番組を作っていく中で、どうしてもパターン化するというのが我々の1個の業というか、悪癖というか、宿命みたいなものがあって。でもそれは正直、毎週毎週番組を作ったり、いろんなスタッフを抱えて番組を作るとなったときには必然なんですよ。

ただ、幸か不幸か我々は突然たまにやるだけの番組だし(笑)、スタッフも限りなく少ない。しかも、僕が一応番組のトップとして現場にも行っているので、誰に忖度する必要もなく、パターン化に陥る可能性がほとんどないところがこの番組のいちばん面白いところなんでしょうね。