石井くんとの出会いは20代の前半でした。デビュー前にオーディションを受けていた「MTVのVJオーディション」で奇跡的に合格し、番組を任されることになった私。その同じ番組の違う曜日を、石井くんはザ・ビッグ・バンドのメンバーとして担当していたのでした。

ザ・ビッグ・バンドと言えば石井くんをはじめ、いしだ壱成くんも活躍していた当時人気のバンド。私とは番組でも一緒じゃなければ接点もないような存在でした。と言っても新番組のレギュラーが勢ぞろいする特番でも番組中に話す程度で、終われば「お疲れ様~」と言った感じで話すこともそうそうない。同じ番組でも担当曜日が違うので、ほぼ会うことなんてなかったんですね。

それがいつだったか、たまたまどちらかの相方がおやすみのときの助っ人として、一緒に番組をやることになったことがありました。今でこそ「石井く~ん、おっさんぽ~い」とか言えちゃってますけど、当時は人気バンドで、しかもその中でもイケメンギターリストとして人気もあったので、こちらは「恐縮です」って感じ。

それでなんで友達になったのかも定かではないですが(笑)、そのときに連絡先を交換をしていたんですね(今となっては、その記憶もないんですけど)。番組も終わり、しばらくして何を思ったのか、私は「ライブやりたい!」「曲とかも作りたい!」というので石井くんに連絡してるわけです。

普通なら「え? 勝手にやれば?」って感じですが、"ライブやりたいけど、何のツテもないし、メンバーを揃えたりする余裕もないから、石井くんやってくれ"という無理難題な投げかけにも彼は快く引き受けてくれて、ふたりで音楽作りをすることになったのでした。そのころの私の状況は、結構不安定な時期でありました。それまでお膳立てのように用意されていたレコード会社との契約も、ライブも。それから事務所には所属していましたが、「これからどうするんだ?」っていうような状況だったのです。

それまで、何でも用意されるのが当たり前だったので、まるで何にもないというギャップに不安を抱えていたような気がします。そんななかでの石井くんとの音楽作りは、チャレンジであり、音楽って本来こういうものだよな、「好きだからやる」でいいんじゃないのって再確認するものでした。

誰に頼まれているわけでもないのに毎週、あ~でもない、こ~でもないと音楽を作っていました。今思えば、だいぶ面倒くさいと思う状況でしたが、石井くんは楽しんで音楽作りをしてくれていました。そんなふたりが、「ゆる~く、でも真剣にライブ」な感じで"プラチナイト"というライブも定期的に行っていました。

白金のプラチナ通りにある知り合いのバーを借りてのライブ。来てくれるファンの方も椅子がなくなれば目の前に座りながらライブに参加してくれ、ファンの方だけではなく私や石井くんもお酒を飲みながらのライブでした。

しかし、私がロンドンへ行くことになり、石井くんとの音楽作りも、それを機に定期的にはやらなくなったのですが、いつも彼には励まされていたなと思い出します。時には先生のようでもあり、ライブでは夫婦(?)のように、なんだか昔から知っていた人のような存在の石井くん。

ここ数年はほとんど会えていなかったですが、彼には夢がありました。海外の音楽大学に通って勉強し、生活すること。それにはかなりの資金が必要です。しかし、この夏にそれが実現し、8月にアメリカに旅立ったのでした。並々ならぬ努力で数年かけて資金を貯め、英語や音楽学校に入るための準備もし、ようやくアメリカへ行く石井くん。ずっと夢を追いかけているその姿が誇らしくもあり、嬉しいなって思います。

いつかツアーでアメリカ行っちゃおうかな?(笑)。あ~、思い出したらやっぱりライブがやりたいなって思いました。では、また次週お会いしましょう。
See you soon love xx.

今日はデコ先生あみちゃんと制作

こんな感じでお話します