先日、超がつくほど久々に前事務所のマネージャーといいましょうか、部長といいましょうか、大尊敬するOさんにお会いしました。Oさんとはデビュー前の20歳のころ、お仕事の現場にいつも教育係のように付き添ってくださり、たくさん怒られ、私を熱心に育ててくださった方です。後にも先にもあんな現場はなかった(笑)。

20歳のど素人の私が、テレビ朝日の音楽ニュース番組『音楽ニュースHO』の司会に抜擢され、毎週大物アーティストがゲストで登場する番組をお仕事させてもらえるなんて、なかなかあることではありませんでした。

もし歌でダメだったら、由美を野球番組のアナウンサーやしゃべり手として、テレビの世界で売り出そう……なんてことも考えてくださってたそうな。本人は歌手になる選択肢しか考えておらず、毎週大物アーティストに会えることや、テレビに出演できることは嬉しいはずだったのですが、当時の私には大変荷が重く、本番中、原稿を読んでいる足先は地面から宙に浮いているようでした。

そんななか、現場に向かう道中や帰り道で、いつも叱咤激励してくださったのがOさん。私にとっては、頼れる母のようだとも勝手に思っていました。今でも忘れませんが、1本の番組を制作するのには、カメラのすぐ後ろ側に何十人ものスタッフがいます。私がミスするたびにカメラを回さなければいけません。誰でも1度や2度のミスはあるかと思いますが、それが何十回、それもしゃべる都度ではいくら心優しいスタッフでも現場の雲行きは怪しくなっていくのが普通です。

そんなとき、スタッフに「アイツできね~、なんなんだ」と文句を言われる前に、わざと凄い口調で「何考えてんの! 由美は!!」と大声で叱ってくれたOさん。現場のスタッフが逆に「まあまあ、由美ちゃんも頑張っていますから」と、守ってもらえるような空間作りまでしてくれたのでした。

私にしてみれば、「なんで怒るの? 一生懸命やってるの、知ってるはずなのに」と涙をこらえるのに精一杯でしたが、そんな配慮を後で知り、胸がグッとなりました。あんなに大役のすばらしい番組だったのに、現場に行くのが憂欝で自分が情けなかったのを思い出します。

「お疲れ様でしたぁ~」という挨拶でさえ、30人以上いる現場のみなさんに届くようにしゃべりなさいと言われていたのですが、自信のない私は蚊の鳴くような声で、それでも声を震わせながら「おつかれさまでした」と言っていました。

音楽ニュースの原稿もできた時点ですぐ渡してくださり、家で穴が開くほど繰り返し読み、暗記するぐらいに読み込み、さらに収録日前に局に入り、プロデューサー、ディレクター、Oさん等と原稿読み合わせまでしてもらっていました。それでも原稿はつっかえてしまう。本読みを前日まで、あれだけ読み込んできたのに……。悔しくて恥ずかしくて、なんでできないんだろうってテレビ朝日の門を出た瞬間に、こらえていた涙が止まらず、Oさんと帰ったのも思い出深いです。

その後、フジテレビの『プロ野球ニュース』のオーディションや、TBS『レッツゴー!ライオンズ』のオーディションに行かされたわけですが、これは0さんがレポーターとかの路線を考えてくれてたからだったんですね。もちろん、私は野球の知識は皆無に等しく、『プロ野球ニュース』のオーディションで赤っ恥をかいてみたり、『レッツゴー!ライオンズ』ではオーディションを受けにきた方が100人以上いたにも関わらず、合格。知識皆無なわけで、これまた大変な現場になるわけですが、その失敗談はこちらにもチラッと書いてあります。

Oさんに「そうか、由美はまだ歌やってるのね」なんてお話ししながら、短い時間での再会でしたが、楽しい時間を過ごしました。そして、あのときの現場、教えがあったから今の私がいるんだなって思います。"初心忘れるべからず"。それでは、また次週お会いしましょう。
See you soon love xx.

これからも初心を忘れず頑張ります

暑い夏はスパイシーなタイ料理がサイコ~!