――先ほども少し話に出た『電波少年』ですが、スタートしたのが92年7月なので、今年がちょうど30周年でした。改めて、今考えるとよくやれてたなと思う番組ですが、危なすぎて社内で止められることはなかったのですか?
始まって1~2カ月くらいですかね、営業局や報道局から制作局に「『電波少年』という番組で土屋がアポなしでやったらしいんだけど、ちょっと勘弁してくれ」と文句が来るわけですよ。で、制作局長が僕を呼んで「おまえ、そんなことやっていいと思ってんのか?」って怒られたんですけど、僕は「じゃあ今週からもう『電波少年』やめましょう。僕、スタッフ連れて引き上げますから、他に好きな番組やってください」って言ったんです。
――すごい! 啖呵切ったんですね。
ひどいでしょう(笑)。そしたら、局長に「おまえなあ、そういうことじゃないんだよ。お前が何やろうが知らないけど、抗議が来て、俺がおまえを呼んで注意して『すいませんでした』って言われたら、『土屋も反省してるようですので』って俺が報告して収まることで、会社っていうのは成立してるんだよ。何をキレてんだ」って言われて、それでも「そんなこと言われたらもう番組できませんから」って返したら、「もういい、帰れ!」ってまた怒られて(笑)
――それでも、結局番組は継続するわけですよね。
僕は意識してなかったんだけど、当時低迷していた日本テレビの中で、若い子たちが見たいと言ってくれる唯一の番組だったので、会社としてはやめたくなかったらしいんですよ。でも土屋があんな態度だから、あいつに言ってもしょうがないってことになって、スパイみたいなプロデューサーがやってきて見張りみたいなことをするんです。でも、こっちは見張りだって分かってるから、そいつには大事なことを教えない。
――『24時間テレビ』の深夜と同じ作戦で(笑)
そうそう(笑)。でも、バレちゃったら、「お前、これ上に言ったらどうなるか分かってんだろうな?」って感じでやっていって(笑)、いろいろトラブルもありながら『電波少年』は進んでいくわけですけど、一応“ネズミを捕るネコ”みたいな形になって、決定的に線を踏み外すことはしないんです。「土屋、ちょっとバカなんじゃないの?」って言われてたのが、だんだん「ギリギリセーフのことをやるやつだ」っていう見方になって、なんとなく認められてきた。そしたら猿岩石(※)が始まって数字がどんどん上がっていくんですよ。
だから今考えると、始めて1~2カ月のときに局長に怒られて「すいません」って謝ってたら、その後に「これやったら、また怒られるのかな」とか考えるようになって、自分の気持ちが折れてたと思います。会社にいると、評価を高くしたいとか、査定を良くしたいとかあるけど、俺の中に全くその価値観はなかった。ただただ自分が面白いと思うことをやれることだけが会社にいることの意味だし、番組を作ることの価値だと完全に吹っ切れたのは、局長に歯向かってぶち抜けることができたからだと思って、あそこがある種のターニングポイントだったと思いますね。
(※)…有吉弘行と森脇和成によるお笑いコンビ・猿岩石による「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」。世帯視聴率30%を超える社会現象になった。
――それができたのは、やはり『元気が出るテレビ』での経験が大きいのでしょうか?
伊藤さんがそういう大ゲンカを局のプロデューサーとしているのを、目の当たりにしてましたからね。(ビート)たけしさんとか演者さんがステージにいるのに、伊藤さんが局Pのとこに駆け上がってきて、「これはやめろ!」「いや、やる!」って睨み合って、収録が1時間くらい止まるんですから。
――たけしさんを待たせて!
そうなんですよ。作り手のこだわり、ある種の狂気って言うんですかね。それは欽ちゃんでも見てきたので、狂気のない作り手の番組なんて面白くないって思い込んでるから、自分の中にも狂気みたいなものをむき出しにしようと、自覚的にやっていたと思います。
■一番ヤバいと思ったのは「アラファト議長」
――そんな土屋さんの中でも、『電波少年』で一番ヤバいなと思ったのは、何の企画のときですか?
有名なところだとアラファト議長(※)ですかね。想定としては、検問所も越えられないと思ってたんです。観光ビザで入ってるわけだから「バカ言ってんじゃないよ」って怒られて、しょうがないから検問所をバックに松本明子が1人でマメカラ(ハンディカラオケ)で歌うっていうオチのはずだった。でも、検問所は兵士も機関銃持ってやっぱり緊張感もあるし、大丈夫かな?と思って、ロケが終わる予定の数時間後くらいに、日本から現地のホテルに電話をしたんですよ。
僕は担当のプロデューサーの部屋につないでくれと頼んだのに、フロントの人が聞き間違えたのか何か分からないけど、松本明子の部屋につながっちゃって、「土屋だけど」って話したら、「土屋さん! アラファトに会えたんです!!」って言い出すから、現地も暑かったから、完全にこいつイっちゃってるなと思って、「ああ、分かった分かった、ごめんごめん。あとでプロデューサーに俺に電話するように言っといて」って切ったんです。で、プロデューサーから電話かかってきたら「いや、本当に会えたんです!」って言われて、そのときはちょっと信じられないことが起きたと思いましたね。
(※)…松本明子が、パレスチナ解放機構のアラファト議長(当時)と「てんとう虫のサンバ」の「♪あなたと私が~」の替え歌で、「♪アラファト私が~」とデュエットすることを目指した企画
――松本明子さんが『あちこちオードリー』(テレビ東京)に出られてアラファト議長の話をしたとき、「スタッフに『撃たれてもいいよ、当たらなければ』って言われた」とおっしゃっていましたが(笑)
これはねぇ…現地のスタッフが言ってることなんで、分かんないですね。だぶん、松本が膨らませてると思いますよ。哲ちゃん(出川哲朗)が、ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦のところに行って、国連の明石(康)さんに明石焼きを食べてもらうというのをやったときの話を、哲ちゃんは他の番組で「『撃たれてこい』って言われた」って話すんだけど、そのときのディレクターに聞くと、「撃たれるかもしれないから気をつけて行けよ」って言ったというんですから。
――本人のアドレナリンが上がって、記憶がヒートアップしているのかもしれないですね(笑)
頭は面白いほうに、面白いほうに記憶を変えていきますからね。でも、何が本当かは分からない。『羅生門』です(笑)