いまから4,000年以上前、すでに「占い」は存在していたという説もあります。これだけ科学が進歩した21世紀になっても、世界中で行われているのは不思議といえば不思議です。

  • 白と緑の印象が残るお店

占いはなぜ人の心を惹きつけるのでしょう?

世間には占いに関する情報は多くあります。様々な占いの方法があり、「人気占い師」とされる人々もたくさんいます。

一方で、人類最古の仕事のひとつとも言えそうな占い師を、「職業」という目線でとらえた記事はそれほど多くないのでは? それもなんだか不思議な話です。 

占い師たちはどんな人生経験をへて、この仕事にたどり就いたんだろう? どんなモチベーションで「他人の未来」を読み続けているのか? 前から気になっていました。

そこで今回は、手相鑑定士の大悟さんの話を聞くことにしました。彼が手相鑑定を始めるにいたるまでのストーリーや、仕事への向き合い方についてストレートに質問を投げかけることで、「職業としての占い師」に迫ってみます。

出会いを求めて、東京へ

北海道出身の大悟さんは学生時代から周囲の人々には、ちょっとユニークな人とうつっていたそうです。学校に革のコートを着て行ったり、ネクタイの代わりにスカーフを巻いたりして登校し、つるむ仲間もいわゆるヤンキー。

「中学ぐらいまでの間っていうのは好きにやってたわけよ。自分の個性を前に出して面白おかしくね」

行動も少しファニーな部分がありました。授業中に突然何か言い出し、落ち着きがなくなる。その姿を見ていた教師が、心配して心理テストのようなものを実施したほどでした。

ちなみに、大悟さんは見た目は男性だが、心はそうでないところがあります。色気づく中学生の頃から男性に魅力を感じるようになっていました。

「告白されたりしたこともあるんだけど、女性は性の対象には思えなかったのよね。それより男性のほうが素敵! と思うようになっちゃって」

高校に進むと、男子校だったこともあり、休み時間は女の子の話題で持ちきり。そんな世界では、素の自分を出せませんでした。

いまでいう「オネエ」なトークスタイルもここではウケませんでした。大悟さんは居場所を求めてバイトでお金を貯めては、東京に通う生活を繰り返すことになります。

東京に頻繁に通ったのは素敵な男性との出会いを求めた部分が大きいそう。当時流行っていた出会いサービスを利用して、多くの男性と知り合ったそうです。

「いろんな男たちに出会ってきたもん、いいのから悪いのから(笑)。つらい思いをたくさんした。だって(出会う人のほとんどが)男が好きじゃない男だったから」

そうやって出会った男性の数は千人を超えるといいます。出会いを通じて、様々な人生を垣間見た。恋愛は実らなかったようですが。

英語を活用して、ツアーコンダクターに

学校ではバイトがNGだったため、留学費用を稼ぐためとだと説明していたそうです。その流れから英語圏へ留学。英語の成績が急激に伸びたため、英語専攻科のある東京の専門学校に通うことにしました。

いざ通い始めると、周りに馴染めませんでした。昼は学校、夜はスナックでバイト、週末は予備校という生活を経て、専門学校2年生を終えた後、青山学院大学へ進学します。

最初の就職は旅行好きだということで、先生から旅行会社を紹介されツアーコンダクターになるも、わずか半年ほどで退職してしまいます。

もちろん周りからは、「堪え性が無い」とか「世の中そんなに甘くない」とか、「生活はどうするの?」といった厳しい言葉も多くもらいます。それでも「私はもっと違うことができるって思ったのね。辞めてからしばらくはふらふらしてたの」というスタイルでした。

そうなっちゃったの、結局

ふらふらし始めて、半年ぐらいしたときに、縁あって、代官山のあるお店を手伝うことになります。

話はさかのぼりますが、恋愛に悩みを持っていた大悟さんは、大学生の頃から趣味で手相を勉強していました。「なぜだか男関係がうまくいかない。何でこういうふうになるんだろう?」と考え、その答えを求めたのが占いでした。

  • ボランティアで始めた占い

占いの知識を生かし、代官山のお店に来るお客さんにボランティアで手相を見始めました。

「そうなっちゃったんだよね、結局。最初は全然そんなの仕事になるとは思ってなかったんだけど」

気がつくと、手相鑑定が大悟さんの本職になっていました。しかし、大悟さんにはこの仕事への過剰な気負いはありません。

「いまの占い師の仕事は、『やれてる』から『やらせてもらっている』ってこと。それに尽きますよね」

大悟さんがよく口にするフレーズに「着たい服と似合う服は違う」というものがあります。

「着たい服」というのは、こうしたい、ああしたい、こうでないといけない、ああでないといけないという思いや願いのこと。大悟さん自身も上京したり進学したりと、「着たい服」を身にまとおうと背伸びをしていた時期もあったそうです。

しかし、どうしてもうまくいかなかったことや、あきらめて流れに身を任せてきたことも数多くあるそう。自分の思いと現実が違う展開になることも多くありました。

大悟さんにとって手相鑑定の仕事はたぶん「似合う服」です。

「仕事旅行」を通じてたくさんの人に話を聞いてきましたが、「自分でやりたいように仕事をしてきた」と語る人は多くいます。「着たい服を自分で創る」タイプの方々です。

そう思うと今回の大悟さんの話はとても新鮮でした。自分に似合う服はどれか? ときにはそんな視点で働き方を考えてみることも大切なのかもしれません。

田中 翼
国際基督教大学を卒業後、運用会社に勤務。趣味で様々な業界への会社訪問を繰り返す中、その魅力の虜に。同体験を他人にも勧めたいと、仕事旅行社を設立。1万人以上に仕事体験を提供。