下半分が赤色、上半分がクリーム色の電車として、沿線の人々に親しまれた「赤胴車」の引退を記念し、阪神電気鉄道は記念グッズのネット限定販売を開始した。クリアファイル、ペン、キーホルダー、定規の4種類で、便利な道具として使える商品ばかり。筆者はこういう実用的な趣味グッズが好きだ。
「赤胴車」の引退については、当連載第211回「阪神5000系『ジェットカー』など引退へ - 移動等円滑化とは」でも紹介している。阪神電気鉄道は2019年12月に公開した「移動等円滑化取組計画書」の中で、本線の普通用車両5001形は2023年度までに5700系に置き換え、武庫川線の「赤胴車」(7861・7961形、7890・7990形)については5500系を改造して導入すると記載していた。
記念グッズの発売に合わせ、阪神電気鉄道が発表した内容を見ると、武庫川線で「新たなデザインの車両が2020年5月末(予定)に運行を開始」し、これにともない「阪神電車の象徴であるツートンカラー車両『赤胴車』が運行終了」するという。1958(昭和33)年から62年間走り続けた「赤胴車」の歴史が間もなく終わろうとしている。60年を超えるとなれば、3代にわたって沿線の人々に親しまれてきたことだろう。鉄道ファンでなくとも、寂しく思う人が多いと思う。
ところで、「赤胴車」の写真を見て、関東の人々も既視感を覚えるかもしれない。上半分がクリーム系の色、下半分が赤系の色、そんな車両は関東にもあった。とくに小湊鐵道のディーゼルカーは外観も塗装もそっくり。姉妹鉄道かと思うほどだ。
他にも京成電鉄や都営地下鉄浅草線で似た色を採用した時期がある。西武鉄道の場合はえんじ色に近かったが、クリーム色との塗り分けで「赤電」と呼ばれた。それぞれ登場年度が近く、どれが「元祖」か調べてみたら、阪神「赤胴車」が先のようだ。
阪神「赤胴車」は1958年、本線の急行用として製造された車両(3301形・3501形)が始まりだった。先代の急行形3011形は上がクリーム色、下があずき色だったから、赤(バーミリオン)への変更でかなり明るい色使いとなり、沿線の人々に斬新な印象を与えただろう。ニックネームは「赤電」ではなく「赤胴車」となった。その理由は、登場の前年から大阪で放送されていたテレビドラマ『赤胴鈴之助』が大人気だったから。
ドラマ『赤胴鈴之助』の原作は、1954年に雑誌「少年画報」で始まった連載漫画。少年、金野鈴之助が正義の剣士として成長し、悪と戦う物語で、鈴之助の防具の胴が赤かったことから「赤胴鈴之助」と呼ばれる。漫画の段階で知名度を上げ、ドラマ化されて勢いが付いた。並行する阪急や国鉄と競う阪神の急行電車のイメージが赤胴鈴之助を連想させたかもしれない。
関東では阪神「赤胴車」誕生の翌年、1959年に京成電鉄の「赤電」が登場する。車体の下半分が朱色(ファイアオレンジ)、上半分がアイボリー。その境目に灰色(ミスティラベンダ)の細い帯があり、銀色の縁取りがあしらわれていた。自社線内を走る車両が濃緑と淡緑の塗り分けで「青電」と呼ばれる一方、都営浅草線と直通する車両として「赤電」が誕生し、区別された。
1960年に押上~浅草橋間が開業し、京成電鉄との相互直通運転を開始した都営浅草線も、当初の5000形は京成電鉄の「赤電」に似た塗装だった。しかし1981年の車体更新で塗装が変更され、車体全体がクリーム色、窓下に太めの赤帯が入った。西武鉄道では、1959年に製造を開始した451系からベージュとラズベリーレッドの塗り分けとなり、1969年にレモンイエローを採用するまで標準色だった。
小湊鐵道のキハ200形は1961年から導入された。当時の小湊鐵道は国鉄から払い下げられた客車や電車を気動車に改造して使っており、輸送力増強のためにキハ200形を自社発注した。デザインや塗装は京成電鉄の「赤電」の影響を受けているという。キハ200形は現在も活躍中。2015年から運行開始した「里山トロッコ」の客車も似た塗装で、赤胴カラーは同社の旅客車両のシンボルといえる。
名古屋鉄道も赤と白のツートンカラーの路面電車を走らせていた。現在はモ514形が旧谷汲駅で保存されている。この塗装は1967年に採用された。その後、名鉄ではスカーレット(赤)1色が標準塗装となり、路面電車も赤1色になった。保存車両は復原色だ。
赤1色の電車といえば京急電鉄も有名だが、こちらは1899(明治32)年の創業時から赤色の塗装を採用しており、歴史は古い。ちなみに、日本の鉄道開業時を描いた絵を見ると、白い車体に赤い縁取りである。板部分が白、柱が赤。つまり、赤系と白系の2色は日本の鉄道の伝統色ともいえる。
少し話がずれたが、歴史を追うと「上半分が白系、下半分が赤系」のツートンカラーは阪神「赤胴車」が始まりのようだ。その後、1959~1961年にかけて京成電鉄や西武鉄道、小湊鐵道などで採用された。阪神「赤胴車」が消えた後、小湊鐵道がステンレス車体の新型車両に置き換わるか、新塗装を採用すれば、「赤白ツートンカラー」の時代は終わる。
現在、通勤電車の車体はステンレスやアルミの採用が進み、塗装しない、あるいは部分ラッビングが多く、全体塗装される車両は少なくなっている。こうして振り返ると、「赤胴車」は阪神電気鉄道の歴史の一部にとどまらず、1960年代から続いた鉄道車両の塗装文化のひとつであり、昭和時代の象徴かもしれない。