1961(昭和36)年の地下鉄日比谷線開業から33年間にわたって活躍し、現在は長野電鉄で余生を送る電車が引退する。日比谷線時代は3000系、長野電鉄では3500系・3600系という形式名だった。鉄道ファンからは「マッコウクジラ」と呼ばれ、親しまれた。製造から約半世紀を経ての完全引退。またひとつ、「昭和の顔」が消えていく。

  • 長野電鉄3500系。車体に赤帯をまとい活躍していた

共同通信社が5月3日に配信した記事「日比谷線初代車両が22年引退へ 長野電鉄に譲渡のマッコウクジラ」によると、長野電鉄で活躍中の元日比谷線3000系が2022年までに全車引退するという。製造から半世紀以上が経ち、老朽化したためで、新たに導入する通勤車両と順次交代する。

長野電鉄は今後、東京メトロ日比谷線で活躍した中古車両の03系を改造し、新たに「3000系」として導入する予定。運行開始日は今春の大型連休を予定していたが、「新型コロナウィルスの感染拡大防止」を理由に延期された。具体的な運行開始時期はまだ発表されていない。「マッコウクジラ」の引退も公式発表ではない。いまのところ、長野電鉄内で長期的な車両更新計画が決まったという観測にとどまる。

■「マッコウクジラ」という名前の由来は

元日比谷線3000系が鉄道ファンや利用者から「マッコウクジラ」と呼ばれた理由は、先頭車の外観にある。銀色の車体がマッコウクジラの体を連想させる。波板の外観はマッコウクジラにはないものの、先頭車の上部だけ波板がなく、つるりと丸みを帯びていた。それが四角い顔のおでこを強調しているようで、マッコウクジラの頭のように見えたと思われる。運転席の窓が側面に回り込む曲面ガラスになっており、これもマッコウクジラの目が頭の両側にある様子を連想させた。

  • 東京メトロが保存する3000系トップナンバー。日比谷線時代は無塗装で使用された

「マッコウクジラ」は非公式な通称だった。しかし認知度は高く、1994(平成6)年には日比谷線全通30周年と3000系引退の記念企画として、部分的にマッコウクジラをかたどったラッピングを施し、「マッコウクジラ」カラーとして運行されている。営団地下鉄(現・東京メトロ)が「マッコウクジラ」を公式に採用した最後の運行となった。

3000系は錆びにくく塗装不要のステンレス素材を採用した銀色の車体が特徴だった。ただし、ステンレスは車体の外板だけで、骨組みは鋼製。当時はまだオールステンレス製の車両はなかった。日本初のオールステンレス製車両は、3000系誕生の翌年、1962年に製造された東急電鉄の初代7000系で、この車両も日比谷線への直通運転を前提に作られた。

3000系の前面下部や側面に取り付けられた波板は「コルゲート」と呼ばれる。トタンの波板のようにも見えるが、トタンは薄い鋼材の強度を高めるため、一方の「コルゲート」はステンレスの歪みを目立たなくするための飾りで、用途が異なる。この飾りが運転席の窓上、行先方向幕付近に施されなかったことで、前述の通り「マッコウクジラ」の由来となった。

■営団地下鉄初の架線集電、相互直通運転車両

日比谷線は営団地下鉄(現・東京メトロ)の3番目の路線として、1961年に南千住~仲御徒町間(3.7km)が開業。3000系はこのとき2両編成で導入された。現在の長野電鉄における2両編成は、デビュー当時の姿に近いといえる。登場時の3000系は2両とも電動車で、後に長編成化したときも全車両が電動車だった。これは通勤路線として高加速が必要だったこと、南千住~三ノ輪間に39パーミルの勾配があったこと、直通運転先で高速運転を可能にすることが理由だった。

3000系の車体は全長18m、全幅2.79m、パンタグラフを含む全高は約4mで、先に開業していた銀座線・丸ノ内線の電車よりひとまわり大きい。銀座線・丸ノ内線は3本目のレールから集電する「サードレール方式」だったが、日比谷線は着工前から東武伊勢崎線・東急東横線との相互直通運転が決まっていたため、営団地下鉄では初の架線集電式を採用した。トンネル断面も大きくなり、車両も相互直通運転の相手に合わせたサイズとなった。

1962年、日比谷線の区間が北千住~人形町間に拡大され、北千住駅から東武伊勢崎線への直通運転が始まった。このときまでに3000系は4両編成となった。1964年に北千住~中目黒間が全通すると、東急東横線とも直通運転を開始する。これに合わせて3000系は6両編成となった。1970年から旅客輸送の需要増大に応え、8両編成に。大洋を優雅に泳ぐマッコウクジラらしい立派な姿になった。

■日比谷線から引退、そして長野電鉄へ

3000系は1971年までの約10年間で305両が製造された。活躍の場所は日比谷線内にとどまらず、東武伊勢崎線の東武動物公園駅から東急東横線の日吉駅まで広範囲にわたった。一時期は日吉駅改良工事の都合で菊名駅まで足を伸ばした。銀色の東急電鉄7000系、クリーム色の東武鉄道2000系などが当時の日比谷線の仲間たちだった。

そして製造後30年を節目に、3000系の全車引退が決定。これに先駆けて1988年から新型車両03系が投入され、3000系と順次交代していく。同時期に日比谷線直通用として、銀色の東急電鉄1000系、東武鉄道20000系も投入された。

日比谷線を引退した3000系は、1992~1997年にかけて先頭車34両、中間車3両、予備として先頭車2両が長野電鉄に渡っている。これらを2両編成14本、3両編成3本に組み替え、2両編成を3500系、3両編成を3600系とした。3両編成のうち先頭車1両はモーターが取り外され、制御車となっている。耐雪ブレーキを搭載し、乗降扉の半自動化、列車無線の交換などが行われ、車体には赤帯が入り、長野電鉄の社章が取り付けられた。その後、一部編成に冷房装置も搭載されている。

長野電鉄が3500系・3600系を導入した目的は、より古い車両の置換えにあった。1998年の長野オリンピック開催を前に車両の若返りを図り、列車の増発を計画した。特急車両が検査で使えないときには、特急料金不要の特急列車として代走した。

その後、2002年に木島線が廃止されると車両の余剰が発生し、非冷房車が運用から外された。2005年から東急電鉄8500系の引退車両を譲受することになり、これを受けて非冷房車両は全車引退している。2011年には、2両編成の1本が赤帯を外され、日比谷線で活躍した当時の姿に戻された(後に引退)。2020年に入り、2両編成の3500系が5本、3両編成の3600系が1本在籍していたが、4月15日をもって3500系1編成(N3編成)が引退したという。

「マッコウクジラ」は2022年の全車引退までに、少しずつ姿を消していくだろう。「アオガエル」(東急電鉄初代5000系)、「いもむし」(名鉄3400系)、「カモノハシ」(JR東海700系)など、ユーモラスな外観から非公式に通称を授かる電車は意外と少ない。筆者としては、東武鉄道の特急車両「リバティ」を「カミキリ虫」と呼びたかったが、定着しなかった。いまとなっては、「マッコウクジラ」のような電車の非公式通称は昭和の鉄道文化かもしれない。