現在放送中のNHK朝ドラ『ごちそうさん』で、主人公の夫は地下鉄御堂筋線の建設に関わっている。御堂筋線の開業は1933(昭和8)年。運行区間は梅田~心斎橋間だった。この路線が天王寺駅まで延伸した年が1938年。サスペンス・ホラーの巨匠、ヒッチコック監督が手がけた鉄道サスペンス映画『バルカン超特急』が公開された年である。

『バルカン超特急』は国際列車が舞台(写真はイメージ)

その翌年(1939年)、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、第2次世界大戦が始まった。『ごちそうさん』は庶民の生活をのんびりと描いているけれど、『バルカン超特急』の背景には、少しずつ戦争に向かっていく国際的な緊張感がある。敵国の腹の探り合い、諜報活動も盛んだった。こうした情勢の中で、国境を越える国際列車には、現在からは思いもよらぬ、さまざまな目的の客が乗っている。このくらいの前知識を持っていると、同作品への理解が深まるだろう。

女が消えた…国際列車からも、人々の記憶からも

物語はヨーロッパ山岳地帯の駅から始まる。冒頭で雪に埋もれた蒸気機関車が見える。雪崩が発生して列車は立ち往生。イギリスへ向かう乗客たちは、しかたなくステーションホテルで一夜を明かす。結婚式へ向かう若い女、ロンドンのクリケットの決勝試合を観戦しに行く男たち、音楽家、不倫の男女、初老の教師、脳外科医などだ。

主人公のアイリス(マーガレット・ロックウッド)は、女友達に見送られ、ロンドン行の列車に乗った。乗車直前に後頭部にケガをしてしまい、初老の女教師に介抱される。女教師の名はミセス・フロイ。ティータイムの食堂車で2人は親しくなった。ところが、アイリスが居眠りから目覚めると、フロイの姿がない。そればかりか、同じコンパートメントの乗客たちは、フロイなど知らないという。

アイリスが失踪事件だと騒ぎ出すと、こんどはフロイと同じ服を着た女性が現れる。しかし、明らかにフロイではなかった。この列車で何が起きているのか? アイリスは、ややノリが軽い音楽家のギルバート(マイケル・レッドグレイヴ)と、フロイを探し始める。

『バルカン超特急』という邦題は、いかにも鉄道を舞台とした作品を連想させるけれど、原題は『The Lady Vanishes』で、直訳は「消えた女」。国際列車から女性が消えるが、主人公以外は誰もその女を知らないというミステリー。彼女はどこへ消えた……?

架空の国からイギリスへ向かう国際列車

国際間の緊張が高まっている時期に作られたイギリスの映画だ。他国名を実際に表現してはまずいようで、列車の出発地は、「バンドリカ」という架空の国。物語の多くはバンドリカ国内の列車内が舞台だ。ちなみに、劇中に登場する駅名も、「Zolnay」「Dravka」「Morsken」となっていて、なんとなくロシアっぽい。ただしバンドリカ国民はドイツ人の雰囲気がある。

機関車の型番、客車の車体の文字などは読み取れない。モノクロ作品で、現在発売中のDVDは画質が荒いからだ。また、途中ですれ違う機関車については、わざわざ型式プレートを墨塗りで消しているようにも見える。時代や国際情勢を考えると、おそらくロケはすべて英国国内。架空の国・バンドリカの機関車や客車を表現するために、イギリス国鉄の車両だとわかっては具合が悪いだろう。

なお、走行中の場面では模型とスクリーン投影を使った特撮も取り入れられている。客室からの窓の風景も投影だ。これでも当時の技術の最先端だったかもしれない。モノクロ映像だから模型と実写が見分けにくい上に、ストーリーに引き込まれるから、あからさまな合成でも興が覚めることはない。水野晴郎監督の『シベリア超特急』の手法は、この作品からヒントを得たかもしれない。

鉄道趣味的に興味深い場面は、蒸気機関車の運転台と連結器。蒸気機関車の運転は複雑な操作が必要だけど、ある人物が「ミニチュア鉄道でやったことある」と運転してみせる。途中の駅で客車を切り離す場面があって、リンク式連結器の作業の様子をバッチリと見せてくれる。

消えた女性はどこへ行ったか? なぜ消えてしまったか? その謎に引き込まれる。そして、現在の作品から見れば迫力は少ないとはいえ、列車サスペンスの原点ともいうべきアクションシーンも盛り込まれている。第2次世界大戦前の、「国際列車が世界をつなぐ役割を担っていた時代」をしっかり見せてくれる映画。登場人物たちのように、紅茶やブランデーを飲みながら余韻に浸りたい。

映画『バルカン超特急』に登場する鉄道風景

国際列車 国際列車は炭水車付きの大型蒸気機関車が牽引する。シーンのつながりで判断すると、機関車の次位が食堂車、その後ろに数両の客車が連なり、最後尾が荷物車となっている。客車のサイズは現在よりも小さく、6人用コンパートメント車と、ツインベッドルーム4室程度の個室寝台車のようだ。オリエント急行をほうふつとさせる姿で、当時を代表する国際列車という設定だろう。邦題に含まれる「バルカン」は、バルカン半島を走るオリエント急行をイメージしたといえそうだ