現在公開中の映画『ちいさいおうち』は、山田洋次監督82歳にして82作目の作品だ。山田洋次監督といえば、『男はつらいよ』シリーズ全48作が有名だけど、それ以外の作品でも一貫して「庶民の生活」と「人間の喜怒哀楽」をテーマとしているようだ。映画館のスクリーンで、約2時間という時間内。そこに人生と日本の美しい風景と静かな感動を盛り込んでいる。

映画『家族』の起点は長崎県伊王島(写真左)、終点は北海道中標津の酪農場(同右)

今回紹介する『家族』は、高度経済成長時代末期の1970年が舞台。炭鉱の生活に見切りをつけた家族が、九州の長崎から北海道の中標津までを列車で旅する様子を描く。当時としてはかなりスケールの大きな作品だ。本編のほとんどが4月6日から10日までの鉄道旅行で占められている。旅する家族に喜怒哀楽が次々と降り注ぐ。当時を知る人にとっては懐かしい映像ばかり。国鉄型車両もたくさん登場し、資料性の高い映像も多い。

炭鉱から酪農へ、父親の転機で旅が始まる

長崎県伊王島。長崎行の船で旅立つ家族がいた。夫の精一(井川比佐志)が炭鉱の仕事に嫌気して、友人の誘いで北海道の開拓村に入ろうと決意した。献身的な妻、民子(倍賞千恵子)は同行を渋ったが、精一は単身でも行くという。夫の強い意志を支えるため、民子も幼い長男と乳飲み子の次女を伴って同行を決心する。

同居していた夫の父(笠智衆)は、広島県福山市にいる次男の家族宅に身を寄せようと考えていた。工場勤めで高給取りの次男だったが、家と自家用車のローンもあって、生活は楽ではないらしい。結局、家族5人で北海道への旅を再開した。新幹線に乗るほかは、固い座席の急行列車を乗り継いで、連絡船の船中泊。子供や年寄りにはつらい旅である。万博で盛り上がる大阪の大都会に戸惑い、非人情な東京で試練が訪れる。希望の地である北海道で、家族に幸せは訪れるだろうか……。

共演に当代のスター、ハナ肇とクレイジーキャッツ。前年から始まった『男はつらいよ』シリーズからも、寅さん役の渥美清、初代おいちゃん役の森川信、おばちゃん役の三崎千恵子など、後に「山田ファミリー」とも呼ばれるキャストが出演する。宿屋の主人役の森川信が、テレビで放送中の『男はつらいよ』を見て、「面白いね、コレ」と言う場面がほほえましい。その後、旅人役で渥美清が登場して、シリアスな旅をちょっとだけ緩めてくれる。

北大阪急行電鉄の万国博中央口駅は必見

乗り物好きの山田洋次監督が、鉄道を舞台に腕を振るった作品である。序盤から興味深い風景がどんどん出てくる。まずは炭鉱のケーブルカータイプのトロッコ列車。島から本土に向かう船では、紙テープによる歓送シーンがある。映画の大型客船の出発シーンでしか見たことがないけれど、こんな離島の小さな船でもやっていたのだろうか? この演出が当時の習慣に根ざしたとすれば、当時の船旅は大イベントだったといえそうだ。

長崎からはキハ55系で出発する。車内放送の時刻案内から推察すると、これは長崎発小倉行の急行「いなさ」だろう。小倉からは475系急行「玄海」に乗っているようだ。「玄海」は小倉駅8時15分発だから、家族は小倉で一泊しているらしい。福山駅には13時43分着。ここで前田吟演じる次男の車に乗る。

翌日は福山駅から165系急行「とも」に乗っている。ヘッドマークを掲げているから一目瞭然だ。大阪で昼食を食べようとしているので、福山駅9時4分発の「とも2号」で、大阪駅に12時31分着。ここで精一が「新幹線まで3時間ある」と言い、万博公園へ見物に向かう。園内施設はどれも長時間待ちとのことで入園は断念。入口で太陽の塔を眺めて引き返す。

このときに映る北大阪急行電鉄の万国博中央口駅は貴重な映像だ。万博輸送のために建設され、万博終了後は撤去されてしまった路線である。北大阪急行電鉄は万博輸送で建設費を償還してしまったというから驚く。現在の終点・千里中央駅は、同駅の手前から分岐・延伸した線路上にあり、将来は箕面市へ延伸する計画もある。

15時30分頃、新幹線に乗った家族は、「ひかり」に乗ったとすれば18時40頃に東京に着く。そのまま上野発の寝台特急「ゆうづる」に乗るため、特急券を確保したけれど、次女の体調が思わしくないため上野で宿泊。不測の事態となり、2泊して朝から東北本線の列車で青森へ。青函連絡船の船中泊を経て、函館本線、室蘭本線を経由して、標津線の中標津には夜に到着している。標津線は1989(平成元)年に廃止されており、現役時代の中標津駅の映像も貴重だ。

室蘭本線から中標津に至るルートは根室本線経由と石北本線経由がある。劇中では省略されているけれど、当時は釧路からの便が多かったようだし、最後の列車は蒸気機関車牽引の木造客車だから、根室本線で釧路へ、釧路から釧網本線で標茶へ、標茶から中標津へと乗り継いだと思われる。

映画『家族』に登場する鉄道風景

炭鉱トロッコ 動力車なしで貨車のみ連結されている。急勾配をケーブル式で上下する
旧長崎駅駅舎 三角屋根の懐かしい姿
キハ55系気動車 急行「いなさ2号」。検札で車掌が「博多駅13時22分着、小倉駅14時26分着」と告げている。この列車の長崎発は10時14分だった
キハ82形気動車 「いなさ2号」で出発した次のシーンが、なぜかキハ82形。食堂車連結の「かもめ」と思われる。資料的には良い映像だ
475系電車 急行「玄海」は名古屋~博多間の急行列車。1日1往復
福山駅 背後に福山城。駅弁の立ち売りがいる
EF58形電気機関車 福山駅に停車している。家族の到着場面と出発場面の両方で同じ位置にいる。同日撮影と思われるが、製造番号が違うようにも見える
165系電車 急行「とも」は大阪(一部新大阪)~三原間の急行列車。1日3往復
大阪駅 梅田貨物ターミナル側から俯瞰撮影
101系電車 オレンジ色。大阪環状線
北大阪急行電鉄 万国博中央口駅とステンレス車体の電車。7000系、8000系(初代)または大阪市営地下鉄御堂筋線30系
モノレールの車両 会場内を走行する跨座式。ちなみに大阪モノレールの開業は1990年で、大阪万博の20年後だった
上野駅 中央改札前広場。子供と「ハナ肇とクレイジーキャッツ」とのふれあいが描かれる
東京都交通局6000形電車 6201号。都内の場面で登場
京成電鉄2000形電車 青電カラー。3000形も青電だったが、1970年は赤電に変更されていたというので、登場した電車は2000形とみられる
キハ56系気動車 北海道上陸後の家族が乗った列車で、唯一外観が登場する車両。急行「狩勝」とみられる
木造客車 車内のみ描写。蒸気機関車の牽引だが汽笛のみで姿はない。夜間走行のため留置された車内だけで撮影されたかもしれない
中標津駅 標津線は同作品の公開から19年後の1989年に廃止された。中標津駅は釧網本線標茶駅、標津線根室標津駅、根室本線厚床駅の3方向の線路が合流する駅だった