少しの仕事と短い休暇を兼ねて、オーストリアの首都ウィーンに滞在している。この街に滞在するのは、学生時代に訪れて以来なので25年ぶりだ。

旅行業界の近況については詳しくはないので、実際のことは全くわからないが、よく学生や若い世代の間では「海外旅行離れ」が進んでいると言われる。

私はこの考えには否定的だ。

確かに、このヨーロッパで有数の観光地であるウィーンの中心部界隈を見ると、私が大学生だった頃に比べて、日本の若い旅行客を見かける頻度は少なくなった気がする。この人たちは日本人だろうと思ってみていると、韓国や中国の学生であることが多い。

もっとも、これも相対的な人数比の問題のような気がする。

25年前、私がバックパッカーズというほどは格好良くもない、ただの学生貧乏旅行で欧州格好を鉄道で周った。黄色いガイドブックとトーマスクックの赤い時刻表を持ち、恐恐として中央駅周辺のホテルを探したりしていた。当時、安宿で出くわしたのは、欧米か日本の若者がほとんどだった記憶がある(たまにイスラエル人はいた)。みんな良いおじさん、おばさんになっているのだろう……。

ウィーンの中心部を25年ぶりに比較しただけではあまり意味はないが、印象として、必ずしも日本人の数が減ったのではなく、観光客としての日本人が、80年代90年代と比べて目立たなくなってきた。アジア系観光客の全体の中での日本人の学生の「比率」は間違いなく減ってきたのだろう。

訪れる若者たちも、団体観光客などが多く押し寄せる大都市の有名観光ポイントばかりでなく、玄人好みするような周辺の街や、自分たちならでは好きな店などに訪問先が散っているのかもしれない。

身なりも、当時の典型的な日本人観光客とは違い、もっとさりげない服装でスマートに現地に馴染んでいるのかもしれない。

とにかく私が25年前に訪れた時は途方もなく緊張していた。クレジットカードも持たず、少ない旅行資金はトラベラーズチェックで持っていた。デジカメではなくインスタントカメラだった。当時の写真も実家になこっているかもしれないが、あるかないかがわからない。携帯電話もスマホもなかった。大きい町の中央駅の国際電話のできる公衆電話を探して実家に安否確認(電話代が高かったので「元気!」とだけ伝えて数秒で切った)した。

そもそもユーロがなかった。寝台列車などで移動したので国が変わるごとに駅に降りたらまず両替しないといけなかった。とりあえずマクドナルドに入ると、だいたいの物価がわかった。それだけで安心して名物料理など食べるよりも先にコーラとハンバーガーで腹を満たした。

いつの時代の話ですか? と思われるかもしれないが、自分にとってはついこの前の話だが、当時はそんな「不便」が楽しかった。残念なことに、今はそんな不便を楽しむことはできない。

そして、せっかくなので新しい場所をどんどん周ればいいのだが、不思議と25年前に訪れた足跡を辿っては当時と何も変わっていないことを確認して安心してしまう自分がいる。 経済的な事情やスケジュール等、個人によって色々と事情はあるかもしれない。できることならば、なるべく若いうちに、できれば一人旅をしておくといい。

どうせならば不便で不自由な旅を楽しめるとなお良い。


<著者プロフィール>
片岡英彦
1970年9月6日東京生まれ神奈川育ち。京都大学卒業後、日本テレビ入社。報道記者、宣伝プロデューサーを経て、2001年アップルコンピュータ株式会社のコミュニケーションマネージャーに。後に、MTVジャパン広報部長、日本マクドナルドマーケティングPR部長、株式会社ミクシィのエグゼクティブプロデューサー等を経て、2011年「片岡英彦事務所」を設立。企業のマーケティング支援の他「日本を明るくする」プロジェクトに参加。2015年4月より東北芸術工科大学にて教鞭をとる。