2019年4月30日に幕を下ろす「平成」。マイナビニュースでは、「平成」の中で生み出されたエンタメの軌跡をさまざまなテーマからたどる。この「平成を駆け抜けた番組たち」は、平成の幕開けと同じ時期にスタートし、現在まで30年にわたって続く番組をピックアップ。そのキーマンのインタビューを通して、番組の人気の秘密を探っていく。

第11回は、平成元(1989)年10月にスタートした、日本テレビ系バラエティ番組『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(毎週日曜23:25~)。放送2回目から参加してきた月亭方正に、あらためてこの番組を分析してもらいながら、大みそか恒例の『笑ってはいけない』シリーズを振り返ってもらった――。

  • 『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』に出演する月亭方正(写真:マイナビニュース)

    月亭方正
    1968年生まれ、兵庫県出身。立正大学大学院中退後、88年にお笑いコンビ「GSX(ガスオエケ)」を結成してデビュー。その後「TEAM-0」に改名するが、93年に解散し、以降はピン芸人・山崎邦正として活躍。08年に月亭八方に弟子入りして高座名「月亭方正」をもらい、13年には芸名も「月亭方正」に改名。現在のレギュラー番組は『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)のほか、『お笑いワイドショー マルコポロリ!』(カンテレ)、『大阪ほんわかテレビ』(読売テレビ)、『ちちんぷいぷい』(MBS)。

■全部がうまいこと噛み合わさった

――今回は、「平成を駆け抜けた番組」ということで、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』について伺いたいと思いまして。

この前5人のトークで始まりが平成元年やって知って、その平成が終わるというね。まさに“平成を駆け抜けた番組”ですよ。俺ね、この番組やりながらいろんな偶然というか運命みたいなものを感じるんですよ。例えば、息子が松本(人志)さんと同じ誕生日なんですよ。ほんでこないだ知ったんですけど、落語の師匠から「月亭方正」の名前を付けていただいたのが10年前の5月11日だったんですけど、それは浜田(雅功)さんの誕生日だったんですよ。だから、そういうのがあって、ダウンタウンさんとは運命的なものを感じるんです。30年続いてる番組は他にも取材されてると思いますけど、みんなそういう運命みたいなものがあると思いますよ。

――方正さんは第2回放送の浅草・木馬亭での前説から参加しているそうですね。

そうです。この番組は、ダウンタウンさんを見て衝撃を受けた日テレの土屋(敏男)さんと菅(賢治)さんが、絶対にこの2人で番組をやるんだということで、ど深夜に始まった。ダウンタウンの良いところは何だ、ネタだ、それをさせるのはどこだ、東京の演芸のど真ん中の浅草だ…ということで木馬亭でやることになったんです。でも、当時関西ではスーパースターやったのに、関東ではウッチャンナンチャンなら知ってるけどダウンタウンは知らないという人が多い。で、第1回放送でネタをやったけど、そのときのお客さんがついてこれなかったんですよ。急にダウンタウンが出てくるから、笑う下地ができていなかったんですね。そこで、前説が入るようになったんです。

――1回目は前説なしでやったんですか!?

そう、なかったんですよ。それで誰がおるんやーってなって、なんか「TEAM-0」ってやつらが大阪から出てきてるらしいから使ってやるかーということで、当時コンビを組んでいた僕らTEAM-0が2回目から出たんです。

――もう当時は東京で活動されてらっしゃったんですか?

そうそう。今までは大阪で既成されたタレントが東京に出てくるという構図だったんですけど、僕らは売れてない時代に東京に出てきた第1号なんですよ。

――それでダウンタウンさんの番組に呼ばれるというのは、また運命ですね!

今考えたら、誰かが台本を書いててでき上がってたんかなって思うくらい、全部がうまいこと噛み合わさってるんですよね。

――最初に呼ばれたとき、これはチャンスだという感じだったんですか?

僕、そのときはまだ21~22歳くらいの子供だったから、チャンスというよりも、まずはちゃんとこなさなあかんという気持ちしかなかったですよ。来た仕事来た仕事を一生懸命こなして、スタッフの人や視聴者やお客さんに喜んでもらおうとしか、頭がいかないです。それからしばらくして、ちょっと余裕ができたときに、「これ、チャンスやぞ!」みたいな感じですね。

――そこから正式なレギュラーにはどのようになったのでしょうか?

まぁ、そこはヌルっとですね(笑)。前説を頑張ってるうちに、番組もいろいろ企画を始めるようになっていくんですけど、ダウンタウンの中に誰かがちょっと入ってアシスタント的なことをしたり、そいつらにムチャをさせようみたいな中で、僕らもチョロチョロ出るようになったんです。

■ロケ終了後も「何がおもろいの!?」

松本人志

――それから約30年、いろいろな企画がありましたけど、印象に残っているエピソードはありますか?

『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』がどういう番組かというのは、ひと言で言えるんです。それは、「松本人志の脳内を具現化した番組」。ダウンタウンの番組というのは、仕切りの部分は浜田、クリエイティブの部分は松本って、2頭のライオンの強い分野を生かして、“浜田雅功の番組”、“松本人志の番組”とたぶん分けてきたと思うんです。その中で『ガキの使い』は、松本さんの脳内をどうぞどうぞ出してくださいっていう番組なんです。

――例えば、どんな企画がありましたか?

松本さんが、会議で「なんか簡単なルーレットみたいなゲームやって、1人が孫悟空にしようか。それで次が猪八戒で、その格好して『Gメン‘75』みたいな感じで坂道を歩いてきて…」って話をしだすんですよ。みんなジーッと聞いてメモ取ってるんですけど、もう正直何を言ってるのか分かんない。だって“像”にできないんだから。「何これ、大丈夫!?」って思いながら、いざやるんです。

――本番に入っても、まだ不安を抱えてるんですか!?

だって分かんないんですもん、何がおもろいのか。それで実際にやって、1人で歩いてたのが2人になって、次3人になって、最後は5人になって歩いてくるっていうのを、なんべんも撮る。終わって、一応「おつかれしたー」とか言ってるんだけど、まだ「何がおもろいの!?」って状態ですよ。それでOAを見る…面白いんです。

――松本さんの脳内では、でき上がってたんですね。

そうなんです。そういう企画、なんべんもあるんですよ。「松本大脱出」って言って脱出マジックなのに、「松本大丈夫かな?」って浜田さんが心配してる横でずっと松本さんが「ホンマやなぁ」「でも絶対成功すると思うわ」とか言ってる。そんなロケしてるとね、こっちもおっかしくなってくるんですよ(笑)。脱出に挑戦してる人が「頑張れよー!」とか言うのが面白くなってくる。他にも「合格発表を見に行きたい」って言って大学に行くんですけど、「ないわー」って言って、「試験受けたん?」って聞いたら「受けてないなねん」って、そんなのの連続ですよ。もう、あの人の頭の中どうなってんねん!って。