FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。今回は「ニュー・エコノミ―論」を解説します。

前回の話はこちら

今までの話はこちら

さて、いよいよ今回からITバブルとその崩壊について述べたいと思います(「ITバブル崩壊編」としては、後半になります)。金融市場の主戦場は、株式市場においてはNYダウより、多くのIT関連銘柄で構成された米ナスダック指数。その米ナスダック指数は、1998年末に2,000ポイントの台替わりを果たすと、それから1年余りで5,000ポイントも突破、何と2.5倍以上になったのです。

  • 【図表】米ナスダック指数の推移(1990~2002年)(出所:リフィニティブ・データよりマネックス証券が作成)

    【図表】米ナスダック指数の推移(1990~2002年)(出所:リフィニティブ・データよりマネックス証券が作成)

「ニュー・エコノミー」でも株高は続かなかった

「ああ、それはバブルだ。そんなのありえない株高じゃないか」と、あなたは思いますか。それこそが、相場とは上がったり下がったりするもの、つまり循環論からの感想なのです。具体的には、「一定期間内の上昇、下落には、自ずと限度がある」→「1年余りで2.5倍になるなんてありえない」→「ありえないことはバブル」ということです。

それは、とても正常な判断だと思います。ただ、そんな判断がなかなかその通りにならない、つまりバブルと言っている相場がさらに上がるとしたらどうでしょうか。そうなると、言った本人も自信が揺らぎ出すでしょう。そして、周囲からの「予想が外れたんじゃないか!?」というプレッシャーも強くなるかもしれません。

想像してみてください。これって、結構きついです。本人の自信も揺らぐし、サラリーマン的な立場なら保身の気持ちも出てきます。では、あなたならどうしますか?

そういったケースでは、多くは「これは、最近ではもちろん、これまでに経験したことのない現象です(だから私の循環的アプローチの予想は外れました)」という説明になるでしょう。その一つの帰結が、「これは構造的変化である」というものになる傾向が強かったのだと思います。

この連載で何度も述べてきたように、循環論での説明が困難になるケースは、基本的には行き過ぎの可能性が高いのです。ただ、行き過ぎとは予想以上であり、そして予想外の結果の可能性が高いので、それが長期化すればするほど、外部からのプレッシャーはきつくなり、かといって「間違った」とは言いたくない(=言えない)なら、「これは今までになかった現象」として、構造的変化を根拠にすることが多かったと思います。

「やぁ、甘く見ていましたが、これは数十年に一度の変化でした。そこまで見抜けず(予想を外して)失礼しました」。

誤っているのかどうか微妙ですが、「何十年ぶりの事態なら、予想できなかったのもしょうがないですよね」という反応になるのは、分かる気がします。このケースも、基本的構図は同じだったのでしょう。

そもそも、循環論での説明を超えるくらいの相場になってくると、シンプルな「行き過ぎ」との見方への求心力は低下し、「新発見」、「新時代」との説明が増えてきます。このケースにおけるその代表例は、「ニュー・エコノミー」だったのではないでしょうか。

確かに、1999年にかけて、米景気回復局面は最長となりました。それは、ITビジネスに主導された、これまで経験したことのない経済状態、「ニュー・エコノミー」によるところが大きいだろうとされました。

ITの出現により、米経済に生産性の拡大が起こりました。そのことが、過去最長の米景気格拡大をもたらしたといった辺りまでは、2020年の今から見てもとくに違和感を覚えることではないと思います。

ただ、それと相場は別ということになるのではないでしょうか。ITの登場による、米経済の生産性の拡大、「ニュー・エコノミー」自体は、2020年の今から振り返っても、全くおかしい感じはしません。ただ、だからといって上昇でも、下落でも永遠に続くなんてありえません。相場においても永遠はなく、常に終わりがあります。それこそが「循環する」ということなのです。

米ナスダック指数は、2000年3月に天井を打つと、その後暴落に向かいました。「ニュー・エコノミー」論は間違いではなかったとしても、それと相場の行き過ぎ(バブル)は別物の可能性があるということ、それが確認されたということだったのではないでしょうか。