FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。今回は「円高と黒田財務官の活躍」を解説します。

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「ミスター円」の表舞台からの退場から、再び止まらなくなった円高。「ミスター円」、榊原氏の後任、黒田氏はあたかも為替市場から、「お前じゃ相手にならない」と軽くあしらわれているように、円売り介入でも円高は止まるどころか、むしろ火に油を注いだように加速するといった状況が続きました。

あのアベノミクス相場で、世界の金融市場の度肝を一度どころか何度も抜いて、「クロダは油断できない」と、海千山千の投資家から一目も二目も置かれたことからすると、ちょっと信じられないシーンだったかもしれません。

ただ「さすがは黒田さん」と思うのは、日本単独の円売り介入で効果がないとかわると、すぐに頭を切り替えたようなのです。黒田氏は、日本単独でダメなら協調のサポートを使う手段に動いたのです。

「アベノミクスの主役」の前触れだった!?

1999年9月、「ミスター円」の財務官卒業からまだ2カ月過ぎたばかりなのに、米ドル/円は1米ドル=110円も大きく下回り、いよいよ100円を目指す動きとなっていました。そういった中で開かれたG7(先進7カ国)の財務相・中央銀行総裁会議では、「日本の円高懸念を共有する」といった一文の入った共同声明を発表したのです。

  • 出所:財務省資料よりマネックス証券が作成

    出所:財務省資料よりマネックス証券が作成

こういったケースでよく言われるのは、日本の円高阻止に対してG7の「お墨付き」をもらったということです。私個人は、結構こういう解説は嫌いで、巨額の資金が飛び交う相場の世界で、一銭も使わない言葉だけの「お墨付き」にどれだけ意味があるかと、普通なら怒り出しちゃうところです(まぁ、怒るほどではないですが)。ただ、例外的にこのケースは、それほど嫌いではありません。

この局面の為替市場介入を見ると、ダラダラとはやらず、たまにしかやっていません。黒田氏は財務官就任後の1999年7月に介入を主導し、でもそれが効かないとなると、次はG7声明が出た9月、その次は11月といった具合でした。ダラダラやるのは、「一生懸命やっていますが、ご覧の通りなかなか止まりません。ごめんなさい」といった、いかにも「アリバイ工作」のようです。しかし、黒田氏の場合、やってみて効果がなければ次はやらない、新しいことをやってみる、それでもダメなら、また工夫する。

そんなふうに未練がましくない、新しいことをすぐに試してみるといった感じがします(勘違いかもしれませんが)。G7声明には、1999年9月と2000年1月の2回連続で、「日本の円高懸念を共有する」といった一文が入りました。この当時もその後も、基軸通貨の米ドル以外の通貨が特定される(シングル・アウト)ケースはほとんどありません。当時のマスコミ的にはこれが大きく取り上げられましたが、冷めた見方をするとそれがどれだけ意味があるかという気がします。

ただ、ある意味で新しもの好きで、物事に固執しない、私は黒田氏ら「プラグマティスト(実際主義者)」の面を強く感じるのですが、そういう見方からするともっともしっくりくる気がします。

いずれにしても、あの手この手を繰り出す中で、結果として、この局面の米ドル/円は、1米ドル=100円を超える円高、「超円高」の再来が回避されました。「ミスター円以外では円高は止められないのか?」というような雑音に対しても、しっかり結果で答えた形となったんですね。ある意味では、これから10数年後の、「アベノミクスの主役」の前触れだったようにも思います。

ただ、黒田氏のことを書くと、「日銀総裁」の時も、そしてこの「財務官」の時も、どうしても「光と影」のように見えてしまうのですが。要するに、この黒田氏が主導した1999年の円高阻止策は、日銀や、さらにITバブル崩壊にも大きな影響を与えた可能性があると私は考えているので、それを次回書いてみたいと思います。