FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。為替相場分析の専門家がFXの歴史を分かりやすく謎解きます。今回は「スイスフラン・ショック」について紹介します。

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アベノミクスをきっかけとした歴史的な円安・株高の大相場において、途中から明らかに主役を演じたのは、アベノミクス「3本の矢」の1本、大胆な金融政策を主導した黒田総裁だったでしょう。

その黒田総裁が金融マーケットを大きく動かした秘訣の一つは、マーケットの意表を突く、いわゆる「サプライズ」でした。2013年4月の「黒田緩和第一弾」も、2014年10月の「黒田緩和第二弾」も、ともにマーケットにとっては大きなサプライズだったので、1日で3円、1カ月で10円超もの記録的な円安をもたらすことになったのです。

実は、そんな「サプライズ」がやりづらくなる状況が出てきたのです。それは、「サプライズ」をうまく結果に活用してきた黒田総裁からすると、ちょっと、あくまで「ちょっと」でしかないとは思いますが、嫌な気がすることだったかもしれません。きっかけは、2015年1月に起こった「スイスフラン・ショック」でした。

「世界最強の女性」とサプライズ自粛

「スイスフラン・ショック」について、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』では以下のように説明されています。

「スイスフラン・ショック=2015年1月15日、スイス国立銀行は2011年9月から、1ユーロ=1.2スイスフランに設定していた対ユーロ上限を撤廃し、為替介入を廃止することを突然発表した。これにより同日には一時1ユーロ=0.8517フランの過去最高値を付け、ユーロに対して41%の上昇となった。

このスイスフラン暴騰に連鎖して、世界の株式市場の下落や外国為替証拠金取引の混乱、両替商の倒産などの混乱が発生した」。

「スイス・フランショック」に対して、すぐに一言申した一人がこの人でした。クリスティーヌ・ラガルド。当時はIMF(国際通貨基金)専務理事のポジションでしたが、いろんな立場でことごとく「女性初」の記録を作ってきた、まさに「世界最強の女性」。2006年には、実際に米経済誌「フォーブス」の「世界最強の女性30」に選出されています。

G8(先進8カ国)初の女性財務相(フランス)、そして女性初のIMFトップの専務理事、さらに2019年11月には女性初のECB(欧州中央銀行)総裁といった具合ですから、見事なまでの華麗なる経歴ですね。

そんな「世界最強の女性」の一人が、「スイスフラン・ショック」の直後にこんな発言を行ったのです。

「SNB(スイス国立銀行=中央銀行)の行動は少し驚きだった」「ジョーダンSNB総裁が私に連絡しなかったことに驚いた」

私は聞いてなかった、といっても、そもそも政策とはそんなものだとも思うのですが。それにしても、これを一つのきっかけとして、「サプライズ自粛」の機運が浮上しました。それにある意味でダメ押しのような役割となったのが、その年の8月に起こった「チャイナ・ショック」だったでしょう。中国の「突然の」人民元切り下げが、世界的な株価暴落を招くきっかけになったとされた出来事でした。

  • 【図表】スイスフラン/円の推移(2014~2015年)(出所:リフィニティブ・データをもとにマネックス証券が作成)

    【図表】スイスフラン/円の推移(2014~2015年)(出所:リフィニティブ・データをもとにマネックス証券が作成)

2013年4月の「黒田バズーカ1」、そして2014年10月「黒田バズーカ2」とも、別な言い方をすると「黒田サプライズ1、2」だったでしょう。ところが、「サプライズ自粛」の機運となってきたのです。さて、黒田総裁はどうするか?