俳優の尾野真千子が、フジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜14:00~ ※関東ローカル)のナレーション収録に臨んだ。担当したのは、6日・13日の2週にわたり放送される「人生 最期までお付き合い」。地域の人々に寄り添い、人生の最期まで付き合う寺の2人を追った物語だ。

13日放送の後編では、東光院の執事・古井さんの母・正代さんの人生に焦点を当てる。脳性まひがあり、3人の子どもを育てながら、日本の障がい者運動を切り拓いてきた正代さん。がんを患った後も、自らの意思で治療を受けないことを選び、最期まで自分らしく生きた。その姿を見つめた尾野も「自分の人生を自分で決める」ことについて改めて考えたという――。

  • 『ザ・ノンフィクション』のナレーションを担当した尾野真千子

    『ザ・ノンフィクション』のナレーションを担当した尾野真千子

脳性まひで車いす生活の正代さん、がんで余命1年

神奈川県大磯町の東光院で、住職・大澤さん(40)とともに地域の人々を支える古井さん(45)。一人暮らしの高齢者を見守り、ご遺体の搬送や処置、葬儀まで自ら行う。生前からよく知る人だからこそ、その人らしい別れの形を大切にしてきた。

そんな古井さんに避けられない別れが迫る。大阪で暮らす母・正代さん(71)に、がんが見つかり、余命1年と告げられたのだ。脳性まひがあり車椅子で生活してきた正代さんは、3人の子どもを育て上げ、障害者運動にも尽力してきた。彼女は抗がん剤治療を受けず、残された時間を自分らしく生きる道を選んだ。

古井さんにとって、幼い頃から母の介助は日常の一部だった。だが15歳で家を離れ、20代で事業に失敗。約2年半、家族との連絡を絶ってしまう。どん底を経て戻ってきた息子に対し、母が涙ながらに掛けた言葉は「生きていて良かった」だった。

母の病状が進むにつれ、古井さんは週に一度、大阪へ通うようになる。正代さんは自ら写真を選び、葬儀で流すメッセージも撮影。人生の締めくくりまで、自分の意思で決めていく。そして息子に伝えた最期の言葉とは…。

数々の最期に寄り添ってきた男が、「息子」として向き合う母との残された時間。離れていた歳月も、すれ違った過去も抱えながら、その最期をどう見送るのか。

  • 古井さん(中央)と母・正代さん(右) (C)フジテレビ

    古井さん(中央)と母・正代さん(右) (C)フジテレビ

芝居も女将も「やりたい」 尾野真千子が貫く人生の選択

19歳で障がい者運動に出会い、「そのままの自分を認めて、街に出よう」と活動を始めた正代さん。26歳で結婚し、3人の子どもを育てながら、地域のなかで自分の人生を歩んできた。

その生き方に、尾野は「本当にすごいですよね。実際問題として、それができる、できないは別にしても、みんな本当はそうありたいのではないでしょうか」といい、「『自分の好きなことをやって、人生を全うしたいな』とは、私もずっと思っていますね」と語る。

この思いは、尾野自身の仕事の選び方と、再婚を機に始めた“二拠点生活”にもつながっている。芝居を続けながら、東京と沖縄を行き来し、沖縄では居酒屋の女将として働く――そうした暮らしも、自分がやりたいことを自分で選んできた結果だ。

「やりたくない仕事をやって、嫌な思いをして、その期間を過ごすのは嫌じゃないですか。そんな損はしたくない。でも、やりたい仕事の中にも“やりたいこと”と“やりたくないこと”があるんです。『芝居をやっていたい』『女将もやりたい』『この人たちと一緒に何かをやっていたい』という気持ちは、いま明確に自分の中にあるのでね。だから、ちゃんと台本を読んで、『この仕事がやりたい』と決めるんです」

それゆえに、正代さんの生き方にも共感する。

「死ぬまで自分のやりたいように、もちろんいろいろ苦労もしながらね。でも、それを貫いた古井さんのお母さんは、本当に素敵だな、かっこいいなと思いますよね」

正代さんの葬儀では、古井さんが母の人生を振り返る「年表」を作る一幕もあった。生きてきた時間を家族がたどり、その人らしい形で送り出す姿も、印象的だ。

「亡くなった後に、周りの人たちがああいうことをしてくれるなんて…。自分はもう死んでるから何も分かんないと思うけど、きっとうれしいことには間違いないですよね。やっぱり周りの人たちの存在はありがたい。私だって、事務所の人たちが結婚記念日を祝ってくれたり、誕生日を祝ってくれたりすると、すごくうれしいですから」