「やっぱり私も東京に住みたい」――。お笑いコンビ・レインボーの池田直人が8月29日、YouTubeチャンネル『鬼越トマホーク喧嘩チャンネル』に出演し、父親の死後、母親と一緒に上京した経緯を明かした。東京で暮らす家を決め、帰阪する途中の名古屋で泣き出したという母。その胸には、単身赴任先で亡くなった夫をめぐり、警察官からかけられた言葉が残っていた。
父は単身赴任が多く「一緒に暮らしてた記憶があんまりない」
今回公開されたのは、「【祝! 結婚】レインボー池田直人の半生【鬼越トマホーク】」と題した動画。8月に佐藤佳奈アナウンサーとの結婚を発表した池田が、結婚生活や幼少期、子役時代、芸人としての挫折などを振り返った。
池田は一人っ子で、幼少期は父親、母親との3人家族だった。しかし、父親は仕事の都合で各地へ赴任することが多かったといい、「父ちゃんとずっと一緒に暮らしてた記憶、あんまりないんですよね」と振り返った。
父親は、自動車部品などを扱う工場で働いていたという。職場では、自分が間違っていると思ったことを率直に指摘する正義感の強い性格だったため、地方や海外への赴任を命じられることもあったそうだ。池田によると、父親は複数の免許や資格を取得しており、晩年には父親にしか担当できない仕事もあった。
父の死後、母の心に残った言葉
家庭では口数が少なく、笑顔を見せることも少なかった父親。池田が高校時代まで続けた子役活動や、お笑い芸人を目指すことにも、当初は反対していた。
その父親は、家族と離れて暮らしていた単身赴任先で亡くなった。池田が高校2年生の時だった。
池田と母親が遺体を引き取りに行った際、警察官から「これね、家族といたら助かったんだよ」と伝えられたという。池田は、その言葉を母親が忘れられずにいたと明かした。その後、池田が芸人を目指して東京へ出ることになり、新居を決めるため母親も大阪から同行。母親は当初、家を決めた後に一人で大阪へ戻る予定だった。
ところが帰り道の名古屋で、母親が突然泣き出した。そして、「やっぱり私も東京に住みたい」と池田へ伝え、引き返すことになった。
「誰かと住むまでは、私一緒におるわ」
母親は池田に、「あんたが立派になるまでは」「彼女ができたりとか、誰かと住むまでは、私一緒におるわ」と伝えたという。父親が家族と離れた場所で亡くなった経験から、池田を一人にしたくないという思いがあったようだ。池田は、母親が自身を思う気持ちについて、単に一人息子だからというだけでなく、父親との別れが大きく影響していたと説明した。
鬼越トマホークの2人は、池田親子の知られざる背景に、「それはきついね」「めっちゃいい話だね」と反応。母親がこれまで池田のテレビ出演にたびたび協力してきたことにも、親子で上京した経緯が背景にあった。
8月に結婚を発表し、新たな家族との生活を始めた池田。母親が上京時に伝えた「誰かと住むまでは」という言葉は、年月を経て一つの節目を迎えたようだ。
【編集部MEMO】
レインボーは、池田直人とジャンボたかおによるお笑いコンビ。2016年に結成され、2018年放送の日本テレビ系『ぐるナイ おもしろ荘』で優勝した。YouTubeの『レインボーコントチャンネル』でもコントを発信している。池田は8月7日、元読売テレビアナウンサーの佐藤佳奈との結婚を発表した。
