今回は前回に引き続き、1582(天正10)年の様子が描かれた。以下では、最も注目されたシーン以外の見どころを紹介していく。
まずは越前・北庄城で夫婦となった市と勝家(山口馬木也)の姿が挙げられる。市に思惑があったとはいえ、長年にわたって思慕の念を抱いていた市との生活に勝家は喜びを隠せなかった。秀吉と市の激しい権力争いが描かれた今回において、唯一の清涼剤となったシーンだった。
SNSでは「カチコチだな。こんな可愛らしい勝家が見れるなんて思わなかった」「新婚生活の雰囲気はすごくいいんだけど、後のことを考えると気が重いな」と新婚のふたりにコメントが集まった。
今回、市をめとった勝家だが、市以外の妻については確証のある史料が残っていない。しかし実子については、織田信雄(山脇辰哉)に仕えた柴田勝里、大谷吉継に仕えたといわれる柴田勝忠の2人がいたとされている。また養子として甥だった柴田勝春や柴田勝豊。他にも佐久間信盛(菅原大吉)の従兄弟である佐久間盛次の三男・柴田勝政、四男・佐久間勝之。そして出自は不明だが、勝家と同じ権六という通称を持つ柴田勝敏がいたとされている。
市、秀吉を招かず妙心寺で信長の法要を営む
次に市が秀吉に通告せず、妙心寺で信長の法要を営んだシーンが挙げられる。秀吉は小一郎の進言を受けて今一度、織田家臣団を集めて話し合いの場を設け、また織田信孝(結木滉星)が連れ去った三法師を取り戻すため、織田信長の葬儀を行うことを書状にしたためる。しかし市は秀吉のたくらみを見抜き、秀吉に知らせることなく先に妙心寺で法要を営む。ここに至って秀吉は最大の障壁が市であると理解した。
SNSでは「お市さま、これは完全に秀吉への宣戦布告だな」「誰も秀吉側に知らせなかったんだ。みんな腹に据えかねていたんだね」と秀吉に敵意を向ける市が話題となった。
市が法要を営んだ妙心寺は山号を正法山とする臨済宗妙心寺派の大本山。花園法皇が花園の離宮を禅寺としたことが始まりだ。妙心寺では1337(建武4・延元2)年を開創の年としている。1399(応永6)年の応永の乱で足利義満によって寺領などを没収され、一時的に妙心寺の名を失った。1432(永享4)年に再興されたが、1467(応仁元)年に始まった応仁の乱で再び焼失する。1477(文明9)年には雪江宗深によって再興され、その門下から妙心寺派の発展を支える4人の高僧が出た。
また、明智光秀の菩提を弔うために、光秀の叔父である大嶺院の密宗和尚が1587(天正15)年に浴室を建立している。風呂といっても浴槽にお湯を張るのではなく、床下に湯を沸かしてその蒸気で体を温める蒸し風呂であり、現代のサウナに近い物。明智風呂という名前で現在まで伝わっている。
市、羽柴兄弟と袂(たもと)を分かつ
最後に市が羽柴兄弟と袂を分かつシーンが挙げられる。日に日に対立を深めていく秀吉と市だが、小一郎は戦を避けるため一縷(いちる)の望みをかけて自ら北庄城を訪れる。市に懇願する小一郎。しかし市の決意は固く、小一郎の願いは届かなかった。共に強く織田信長を慕っていた秀吉と市は皮肉にもお互いのことを誰よりも理解していた。あれだけ親しかった羽柴兄弟と市だったが、完全に敵対することになった。
SNSでは「お市様は秀吉が織田家ではなく、信長だけに従っていたのを分かっているんだな」「今回ばかりは小一郎の甘さの悪い面が強く出ているね」と、相剋(そうこく)の間柄となった2人にコメントが集まった。
きょう23日に放送される第32話「賤ヶ岳の決闘」では、織田信雄の後ろ盾を得た秀吉が、織田信孝のもとから三法師を連れ戻すことに成功する。そして、市が茶々(井上和)に胸の内を語る中、賤ヶ岳で秀吉と柴田勝家の決戦の火蓋が切られる。


