村崎と同じく、カメラマンの永山氏も厳しい職人の世界で技術を学んだ世代。今回サブで入っている河合輝久カメラマンは、約30年前に永山氏が初めて一から育てた後輩だが、「太郎さん並みに厳しく教えていたと思います」と振り返る。
当時のテレビ業界では、入社して数日で現場に出され、「現場で覚えろ」と言われるのが当たり前。番組の試写で怒号が飛ぶことも珍しくなかった。
そうした指導は社会の変化に合わせて見直されてきたが、永山氏自身には、厳しく叱られた経験が現在の仕事につながっているという実感もある。かつて先輩から怒られた言葉は、「当時は理解できなくても、年月を経てその大切さに気づいたこともありますからね」と語る。
ただ、その経験を若い世代にそのまま当てはめることはできない。「僕たちの世代からすれば、“怒られたほうが良かったんじゃないか”という感覚はあります。でも今の若い人たちは、“え、そう?”と思うかもしれない。新人を教育する側なのか、まだ新人と呼ばれる側なのかでも、受け取り方は違うと思います」と理解できるからこそ、村崎の苦悩に大いに共感したそうだ。
怒られなくても芸は磨ける――新人2人が示した希望
厳しい指導を控えれば、芸の質まで落ちてしまうのか――そんな懸念を覆す存在として登場するのが、2025年に入社した水谷さんと藤畑さんだ。動物の専門学校で出会った2人は、親友でありライバルとして芸を磨き、同期の中でも早い段階から舞台に立った。
永山氏が驚いたのは、半年前まで学生だったとは思えないほどの舞台の対応力。新人は、先輩から教わったセリフを覚えて話すことに精いっぱいになり、どうしても棒読みになりがちだが、2人はすでに自分の言葉として話し、軽いアドリブや客とのやり取りもこなしていたという。
「ここ10年で見ないような逸材」というほどの2人の姿から、永山氏は令和の猿まわしに新たな可能性を感じている。厳しく怒られなくても、「これまでの枠にとらわれないやり方で、新しい猿の芸を彼らの世代が生み出していくんじゃないかと思いました」と、撮影を通して希望が見えてきたそうだ。
1988年の熱血指導映像に刻まれた取材の原点
26日に放送される後編には、若き村崎が弟子を厳しく指導している1988年の映像も登場する。それは、永山氏による村崎の長期取材が始まった、まさに原点の映像だった。
時を経て、当時の弟子たちは、それぞれの土地で猿まわしを続けている。今回、村崎と再会し、「辞めなくて良かった」「猿まわしを続けているのは村崎太郎という人がいたから」と思いを伝える場面に、永山氏は感慨を覚えた。
それだけに、今回の作品を「これまでの集大成」と位置づける永山氏。それと同時に、「太郎さんたちがこれから向かっていく姿を、いいタイミングで捉えられたのかなと思います。これから令和の猿まわしを引っ張っていく若い人たちが現れて、5年、10年たったときに、その始まりに立ち会えていたのかもしれません」と捉えており、「猿まわしがこれからどう変わっていくのか。それを感じてもらえる作品になっていると思います」と見どころを語っている。


