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今回は1582(天正10)年の様子が描かれた。以下では、最も注目されたシーン以外の見どころを紹介していく。

まずは光秀が担当した家康(松下洸平)を接待した席で、信長から激しく責められる光秀の姿が挙げられる。安土城で家康の接待で供された鯉から毒が見つかる。犯人の心当たりについて信長から尋ねられた光秀はすぐに織田信澄を思い当たるが、娘婿でもある信澄をかばい、光秀は口を開かず信長の暴力に必死に耐える。

しかし台所方を調査した丹羽長秀(池田鉄洋)が、信澄が犯人だと断定。これにより、信澄の復讐心を信長が知るところとなる。20年近く隠し続けてきた本心だったが、いともあっさりと露見した。一連の信澄の動きは、光秀を確実に巻き込むための計算だったのだろうか。

SNSでは「めちゃくちゃパワハラだけど命を狙われた以上、信長が怒るのは当たり前だよね」「まさか信澄は、ばれてもこうなることまで見越していたのかな?」と、接待に関わる騒動について様々なコメントが集まった。

安土饗応事件は1582(天正10)年に徳川家康が安土城を訪れた際に行われた接待の席での出来事。饗応役を務めた明智光秀は、京都や堺から珍しい食材や調度品を集めて豪華なもてなしを準備したが、途中でその役目を解かれ、中国地方で毛利氏と戦っていた羽柴秀吉の援軍に向かうよう命じられた。江戸時代以降の軍記物では、信長が光秀の接待を厳しく叱責し、膳を蹴飛ばしたり頭を打ったりしたことが、本能寺の変の動機になったと描かれることがある。

しかし、この話は同時代の一次史料には見られず、後世の創作や脚色が含まれている可能性が高いと考えられている。饗応役は丹羽長秀が引き継いだ。徳川家康は安土を出発した後、堺見物を楽しんでいたが、その最中に本能寺の変の知らせを受けたと伝わっている。

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明智光秀、織田信長討伐を決意する

最後に、光秀が信長を討伐する決意をしたシーンが挙げられる。信澄に本心を明かされ、主君・信長に激しく責められた光秀は、かつての主・足利義昭(尾上右近)に書状を出した。しかし、義昭からの返答は「もう、わしを巻き込むな」という無情なものだった。1573(天正元)年、信長に京を追われた義昭は、最後まで光秀の身を案じており、小一郎と秀吉に「光秀と仲良うしてやってくれ」と言い残していた。巻き込むなという言葉には、なにか別の本心があったのではないだろうか。いずれにしても絶望した光秀は単独で信長の討伐を決意。実行に移した。

SNSでは「どいつもこいつも、一言が足りない気がするな」「義昭の最後のメッセージは決して突き放しではなく、自分のことなんか気にせず信長の下で頑張れという意味だったと思いたいけど、光秀の義昭への気持ちが重すぎたね」と、本能寺の変の前夜に、視聴者のコメントが集まった。

きょう19日に放送される第28話「急げ!秀吉」では、明智光秀が斎藤利三に小一郎を探し出すように命令。一方、小一郎は姿を隠しつつ秀吉へ手紙を送る。そして秀吉は信長の生存を信じて急ぎ京を目指す。

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