「絶対落ちると思っていました」――4日に放送されたテレビ東京のバラエティ番組『二軒目どうする?~ツマミのハナシ~』(毎週土曜24:55~)では、はいだしょうこがゲスト出演。歌の世界へ進んだきっかけや宝塚歌劇団時代の思い出、『おかあさんといっしょ』第19代うたのおねえさんに選ばれた秘話を語った。

  • はいだしょうこ

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今回は東京・高円寺にある「たん焼きと小皿」に訪問。はいだは「人見知りの泣き虫でいつも母の後ろに隠れていた」と幼少期を明かしつつ、「歌っている時だけは自分を表現できていた」と両親が感じたことから、全国童謡歌唱コンクールへ応募したと回想した。

そこで審査員を務めていたのが、「ちいさい秋みつけた」「めだかの学校」などで知られる作曲家・中田喜直氏だったという。はいだは「コンクールが終わった後、楽屋に来られて、『僕が作曲している曲を一緒に全国を回ってコンサートでしょうこちゃん歌ってくれない?』と言われました」と明かし、「そこから歌の世界に入りました。小学校5年生ぐらいでした」と振り返った。

その後は宝塚歌劇団を目指し、多忙な学生生活を送りながら2回目の挑戦だった高校2年生の時に40倍の難関を突破。しかし、入団して落ち着いてからホームシックに悩まされ、「母に『帰りたい』って電話していました」という。

さらに、「使わなくなったタッパーを実家に送り返していたんです」と告白すると、松岡昌宏は「なんでタッパーだったの?(笑)」とツッコミ。はいだは「本当にタッパーだったんです」と笑顔を見せた。

母は届いたタッパーを見て娘の限界を察し、「帰ってらっしゃい」と声をかけたという。しかし、その言葉を聞いたはいだは「宝塚に入りたいと思ったのも自分だし、入ると決めたのも自分。帰りたいって言ってる場合じゃない」と思い直し、「そこから一切『帰りたい』と言わなくなりました」と心境に変化があったそうだ。

宝塚を4年で退団した理由にも言及。「よく『歌のお姉さんが決まったから辞めた』と言われるんですが」と切り出し、「フィナーレで1人で歌う役を下級生で頂くことができて、それをやるのが夢だったので、それを終えた時に宝塚で思い残すことはないなと思えたんです」と本当の理由を明かした。

退団後は実家へ戻り、運転免許を取りに行くなどゆっくり過ごしていたという。そんな中、童謡歌手時代の関係者から『おかあさんといっしょ』うたのおねえさんのオーディションを勧められたといい、「絶対落ちると思っていました」と振り返る。

当時は学校推薦などを経た約600人が参加したといい、最終審査では歌詞の見方が分からず困っている参加者に教えてあげたという。合格後に理由を尋ねると、その時の対応を見ていたことが評価につながったと説明されたことを明かした。

松岡は「すげーな」と感心し、博多大吉も「直前で聞かれて、分かんなかったら『分かんない』って言うしね」とコメント。松岡は「教えている姿が、そのまま歌のお姉さんと重なったんでしょうね」と、はいだの人柄を称えていた。

この放送は、TVerで見逃し配信されている。

【編集部MEMO】
はいだしょうこは、1979年3月25日生まれ、東京都出身。宝塚歌劇団で娘役として活動後、2003年4月からNHK『おかあさんといっしょ』第19代うたのおねえさんに就任。卒業後は歌手、タレントとしてテレビやコンサートなど幅広く活躍している。