交通事故で脊髄を損傷し、車いす生活となったパラアイスホッケー日本代表・伊藤樹さん(20)の11年を追ったカンテレの「第35回FNSドキュメンタリー大賞」ノミネート作品『氷の上で、生きていく―ミラノへの11年―』が、フジテレビで29日(25:50~)に放送される(※関東ローカル、『FIFAワールドカップ2026』の放送により変更の場合あり)。

  • 事故直後の樹さん(当時8歳)

    事故直後の樹さん(当時8歳)

「ただ歩けなくなっただけ。できないことが一つ増えたけど…」

同作は、交通事故で脊髄を損傷し、車いす生活となったパラアイスホッケー日本代表・伊藤樹さん(20)の11年間を追ったドキュメンタリー。9歳で競技を始めた少年が、日本代表のエースとして国を背負い、夢の舞台へ向かうまでの日々を描く。

伊藤さんは8歳の時、母・紅子さんが運転する車でアイスホッケーの練習へ向かう途中、交通事故に遭った。脊髄を損傷し、突然、下半身不随に。大好きだったアイスホッケーができなくなり、事故後には「足じゃなくて、手だったらよかったのに」とこぼしたこともあった。

さらに、学校では同級生から「歩けないくせに」と心ない言葉を浴び、泣きながら下校したことも。絶望の底にいた伊藤さんを救ったのが、パラアイスホッケーだった。

「パラアイスホッケーがなかったら今の俺はいない。ホッケーに救われた」

取材の中でそう語った伊藤さん。パラリンピック出場という新たな夢ができてからは、ひたすら練習に打ち込んできた。「ただ歩けなくなっただけ。できないことが一つ増えたけど、その分パラアイスホッケーができるようになった」。その言葉からは、失ったものだけではなく、そこから見つけたものに目を向けて生きる強さがにじむ。

事故で重傷を負ったのは、母・紅子さんも同じだった。それでも紅子さんは、息子の前で弱音を吐かず、明るく接しながら夢を支え続けた。足に大けがを負いながらも、車での送迎を欠かさず、「怖いけど、やりたいというからやらせたい」と、息子の挑戦を見守ってきた。やがて息子の夢は、母の夢にもなっていった。

高校卒業後、伊藤さんは単身アメリカへ渡る。異国の地で一人、修業する道を選んだ理由はただ一つ、パラリンピック出場のためだった。

「人生終わったなというところから俺の人生始まった」

そして、出場権をかけたノルウェーでの最終予選。6カ国総当たりで上位2カ国のみが切符をつかめる中、日本は初戦の韓国戦に敗れ、後がない状況に追い込まれる。2試合目も終了間際までリードを許す苦しい展開。敗退が頭をよぎったその瞬間、チームに奇跡が起きる。

試合後、伊藤さんは「ホッケーの神様が、まだ俺らに“ホッケーしていい”って言ってくれた」とつぶやいた。

「人生終わったなというところから俺の人生始まった」

どん底の中で見つけた希望。母とともに目指した夢舞台。9歳だった少年は、20歳の日本代表のエースになった。本作は、夢に向かって突き進んだ11年間の軌跡を通じて、「失ったもの」ではなく「見つけたもの」に目を向ける一人のアスリートの姿を映し出す。

「諦めるという言葉は、一度も聞いたことがない」

取材した縄田丈典ディレクター(カンテレ報道センター)は「“絶対にパラリンピックに出場する”。取材中に樹さんから何度もこの言葉を聞きました」と振り返る。

ミラノのリンクで滑る伊藤さんの姿を見た時、「自然と涙があふれました。横で母の紅子さんもカメラマンも泣いていました」といい、「これまで何度も悔しい思いをしてきたのを見てきました。でも諦めるという言葉は、樹さんから一度も聞いたことはありません」と語る。

伊藤さんが単身でアメリカに武者修行へ行く際、母・紅子さんに「これからは俺のためじゃなくて、自分のために時間を使って」と伝えたことにも触れ、「初めて取材した時9歳だった少年は、もう20歳の立派な大人になっていました」と成長を実感。「どんな逆境に陥っても諦めず、夢に向かって努力し続ける樹さんの姿に私自身も励まされてきました。この番組が、誰かの一歩を踏み出すきっかけになってもらえれば幸いです」とコメントしている。