今回は1578(天正6)年の様子が描かれた。尼子勝久(渡邉蒼)と山中幸盛(廣瀬友祐)を見殺しにしてしまった秀吉(池松壮亮)は、罪の意識にさいなまれ記憶を失った。小一郎(仲野太賀)はそんな兄の記憶が戻ることを祈願して書写山・円教寺の柱に名を刻む。以下では、最も注目されたシーン以外の見どころを紹介していく。
まずは、尼子家再興を夢見た尼子勝久と山中幸盛が上月城の戦いで敗れ、散るシーンが挙げられる。1566(永禄9)年に毛利元就の侵攻で滅亡した尼子氏。命からがら生き延びた勝久と幸盛は秀吉に保護された。そして上月城を拠点に尼子家再興を目指す。
しかしそれも束の間、上月城に毛利と宇喜多の軍勢が迫った。秀吉は織田信長に援軍を要請するが、無情にも援軍は現れなかった。史実によると毛利・宇喜多勢の3万に対し、上月城の尼子勢はわずか3千だった。秀吉にはどうすることもできず、撤退という苦渋の決断を下すことになった。
SNSでは「秀吉が尼子をギリギリまで助けたいと思ってたのは、尼子が再興のために小勢で奮起する様子を、身分が低かった頃の自分を重ねていたのかもしれないね」「勝久と幸盛も援軍は来ないというのは薄々分かってはいたんだろうなあ」と、上月城の悲劇が話題となった。
尼子勝久はかつての中国地方を大内家と二分した名門・尼子家の最後の当主。祖父に尼子国久、父に尼子誠久を持ち、1553(天文22)年に生まれた。幼少期に主君・尼子晴久からの粛清を逃れ、京都の東福寺で僧侶となったが、1568(永禄11)年に山中幸盛ら旧臣に擁立されて還俗し、尼子氏再興の旗印となった。
山中幸盛は1545(天文14)年頃に生まれた尼子家の家臣。通称の山中鹿介の名で広く知られている。毛利氏によって主家が滅亡した後も、尼子家再興のために生涯を捧げた。尼子勝久を擁立して各地を転戦し、一時は出雲への復帰を目指したが、上月城の戦いで敗北した。その後、織田方の武将として活動中に備中国で毛利方に捕らえられ殺害された。
幸盛はただ武勇に優れていただけではなく、尼子勝久を擁立するため京都まで赴き、旧臣団をまとめ上げるなど、優れた政治力や交渉力も発揮している。若い頃、三日月に向かって「願わくは我に七難八苦を与えたまえ」と祈ったエピソードは非常に有名だ。通常は幸福や成功を願うところだが、あえて困難を求めた幸盛。その波乱に満ちた生涯はとてもドラマチックなものだった。
両兵衛、碁盤上で火花を散らす
次に高倉山の陣中で碁を打つ官兵衛(倉悠貴)と半兵衛(菅田将暉)の姿が挙げられる。半兵衛の誘いに応じた官兵衛。負けた方が何でも1ついうことを聞くという約束で2人の名軍師が対決する。勝負は終盤までもつれ、官兵衛の会心の一手を半兵衛は鮮やかに返した。勝利を確信した半兵衛は織田側へ付いた官兵衛の本心をするどく指摘する。追いつめられた官兵衛が、雨が降ってきたことを理由に強引に勝負を打ち切ると、突然半兵衛がその場に倒れこんでしまう。いよいよ半兵衛の最期が近づいてきたようだ。
SNSでは「半兵衛くん、自分の死期を悟っているから後釜を見つけるのに必死なんだね」「図星なのか、官兵衛君面白い顔してるな。まだまだ腹芸は未熟だね」と、2人の名軍師のやりとりにコメントが集まった。
きょう14日に放送される第23話「さらば半兵衛」では、謀反を起こした荒木村重の説得に小寺官兵衛が向かったが、逆に村重に捕らわれてしまう。戻らない官兵衛に、謀反に加担したという噂がでっち上げられ、織田信長は官兵衛の息子・松寿丸の処刑を決定。竹中半兵衛は小一郎と秀吉に、松寿丸を助けるための策を進言する。


