テレビ画面を注視していたかどうかが分かる視聴データを独自に取得・分析するREVISIOでは、5月31日に放送されたNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』(総合 毎週日曜20:00~ ほか)の第21話「風雲!竹田城」の視聴分析をまとめた。
「なんとかして水を持ってまいれ!」
最も注目されたのは20時34分で、注目度78.9%。太田垣輝延(中野英雄)が、小一郎(仲野太賀)の降伏勧告を無視して徹底抗戦を宣言するシーンだ。
雲海に守られ、鉄壁の守りを誇る竹田城。秀吉(池松壮亮)からその攻略を命じられた小一郎は、一滴の血も流さずに戦を終わらせることを願っていた。城の中に水源がないことを見抜いた小一郎は、水を枯らし降伏を促すため、敵兵が城から出入りできぬよう絶えずかがり火を焚き、持久戦に持ち込んだ。百姓時代の知識から、竹田城を守る朝もやは朝夕の寒暖差が大きくなければ発生しないことを知っていたのである。
小一郎の思惑通り朝もやは現れず、竹田城の兵は身動きが取れずにいた。やがて城の水は底を突き、将兵たちは日に日に憔悴(しょうすい)していく。小一郎は降伏を促す書状をしたため、それを前野長康(渋谷謙人)に託した。長康は矢文にして竹田城へ放つ。書状を読んだ武田城主・太田垣輝延は激怒し、援軍が来るまで小一郎たちを足止めしようと息巻く。しかし、輝延に水を独占され、渇きに苦しむ城兵に「なんとかして水を持ってまいれ!」と、非道な輝延は厳命を下した。
一方、「駄目か」と降伏勧告を受け入れられず肩を落とす小一郎。「もう十分であろう」「動けなくなっている兵もおるようじゃ。このままでは皆、死ぬのは同じことじゃぞ」と、力攻めでさっさと城を落としたい宮部継潤(ドンペイ)と長康は、小一郎に判断をうながす。しかし、敵兵であっても1人の犠牲者も出したくない小一郎は、首を縦に振ることはなかった。
「小一郎様! はあっはあっはあっ! やっと見つけました!」その時、小一郎から別命を受けていた藤堂高虎(佳久創)が息を切らして駆け込んできた。「ようやった! かがり火を消すのじゃ」小一郎の表情が明るくなる。「やはり総攻めいたしまするか?」「まさか、引く気ではあるまいな?」長康と継潤の問いに、小一郎は答えはしなかった。
「暴君ぶりが清々しいほどのクズ城主だな」
このシーンは、太田垣輝延の非道っぷりに視聴者の関心が集まったと考えられる。
織田信長(小栗旬)から播磨の調略を命じられた小一郎と秀吉。摂津を治める荒木村重(トータス松本)から姫路城代・小寺官兵衛(倉悠貴)を紹介される。優れた軍師である官兵衛の働きもあり、播磨の調略は順調に進む。しかし竹中半兵衛(菅田将暉)は現状に満足せず、上月城と生野銀山の奪取を進言。小一郎は秀吉から但馬攻めの総大将に任じられる。
これまで秀吉を陰から支えてきた小一郎だったが、初めて戦の指揮を執ることになった。そして敵の大将はなんと、主演・仲野太賀の実父である中野英雄だった。SNSでは「水が無くなるのは食料がなくなるより遥かにきついのに、援軍来るまでもつわけないよね」「登場した瞬間から悪役オーラ全開で、久々に本格的な悪役を見た」「水がなくてみんな限界なのに、自分だけは助かろうとする暴君ぶりが清々しいほどのクズ城主だな」と、輝延のクズっぷりにコメントが集まった。
今回の舞台となった竹田城は、現在の兵庫県朝来市和田山町竹田に位置する山城で、標高約353メートルの古城山の山頂に築かれていた。築城は1431(永享3)年頃とされ、但馬守護・山名宗全によって築かれたと伝わる。かの応仁の乱の西軍・総大将だ。1600(慶長5)年に廃城となり、現在は国史跡に指定されている。竹田城は石垣がほぼ完全な形で残る日本屈指の山城として知られており、雲海に浮かぶ姿から天空の城や日本のマチュピチュとも呼ばれ、全国的な観光名所となっている。
生野銀山は兵庫県朝来市に位置する日本有数の鉱山で、開山は807(大同2)年と伝えられている。中世から近代まで銀や銅、錫を産出し、江戸時代には徳川幕府の直轄鉱山として最盛期を迎えた。明治元年には日本初の官営模範鉱山となり、1973年に閉山した。現在は史跡生野銀山として観光坑道が公開されている。注目すべき点として、坑道総延長350キロメートル以上、最深880メートルに達する巨大な鉱山構造が挙げられる。また明治期にはフランス人技師コワニエらが近代化を進め、フランス式建築や馬車道が整備された。生野銀山の歴史を記した『銀山旧記』には「銀の出ること土砂のごとし」と記録されている。

