3番目に注目されたシーンは20時14分で、注目度71.4%。蔦重が日本橋進出について喜多川歌麿(染谷将太)に相談するシーンだ。
宴会の雰囲気になじめない佐野政言を見送った蔦重に、土山宗次郎が話しかけてきた。花雲助こと田沼意知(宮沢氷魚)から松前藩を上知する計画に誘われた蔦重が、なぜその誘いを断ったのか真意を知りたいようである。吉原の本屋にはあまりに話が大きすぎると答える蔦重に、今度は日本橋に店を買ってやろうかと宗次郎は提案してきた。あまりにも都合のよい申し出に「それ、本気でおっしゃてますか?」と蔦重は聞き返したが、宗次郎は無言で去ってしまった。
耕書堂に戻った蔦重は歌麿に、先ほどの宗次郎とのやりとりを話した。「それ、間違いなく得するのは土山様だけだよ」少なからず舞い上がっている蔦重とは違い、歌麿の方は冷静だ。「蔦重は吉原にいるからちょいとかっこよしなんだよ。江戸一の利者が江戸の外れの吉原にいる。それが粋に見えんだよ」諭すように語る歌麿に「んじゃ、ここそのままにして日本橋に2店目ってなどう?」と食い下がる蔦重。
しかし歌麿は、「親父様が蔦重に話があるみてえだよ」と強引に話を打ち切った。「おい、親父様も俺に日本橋って?」「だといいけどね」蔦重と歌麿の気持ちは、大きくすれ違っていた。
「蔦重と歌麿のバディ関係、胸が熱くなる」
ここは、蔦重と歌麿の温度差に視聴者の関心が集まったと考えられる。
宗次郎に日本橋への出店を打診されたことを、終始浮かれ気味に話す蔦重だが、歌麿は冷静に利害を分析していた。実際、宗次郎には「江戸一の利者の本屋は土山のもの」という箔付けと蝦夷を上知する計画に引き込む目論見があり、それをいち早く見抜いた歌麿は蔦重にとって頼もしい存在。蔦重は少しおめでたいところがあるので。
SNSでは、「ほんとに蔦重に歌麿っていう世話女房がいてよかった」「ちょっと釘を刺したりしつつも『何がどう転んだって、俺だけは隣にいっからさ』と言ってくれる歌麿が尊い…」「蔦重と歌麿のバディ関係、観ているだけで胸が熱くなる」と、蔦重と歌麿の関係性にコメントが集まっている。
蔦重が買い取ろうとしている「丸屋」は通油町にあった。現在の東京都中央区日本橋大伝馬町の一部にあたる地域で、江戸の中心的な商業地の一つとして非常に栄えていた。通油町という町名は、灯油を商う家が多かったことに由来し、通の字が冠されているのは、本町通という主要な通りに面していたためといわれている。本町通は、日光や奥州方面に向かう日光街道の一部でもあり、将軍が日光参詣の際に通る御成道でもありそのため、人々の往来が非常に多く、交通の要衝として栄えた。
ちなみに「にほんばし」という呼び方は当初、粗末な2本の丸太を渡しただけの橋だったため、「二本橋(にほんばし)」と呼ばれ、それが「日本橋」という呼び方になったと伝わっている。なお、大阪にも日本橋という地名があるが、こちらは「にっぽんばし」と呼ぶ。日本橋はもともとは現在の堺筋にあたる紀州街道に沿って架かっていた橋の名前。紀州街道は人や物が多く行き来するだけでなく、紀州藩・岸和田藩などの参勤交代の道でもあった。そのため、日本橋は幕府直轄の公儀橋に指定されていたのだ。