3番目に注目されたシーンは20時17分で、注目度70.3%。田沼意次が一橋治済(生田斗真)と島津重豪(田中幸太朗)を説得するシーンだ。
意次は治済の子・豊千代(長尾翼)に嫁ぐ茂姫を、正室ではなく側室とする旨を茂姫の父・重豪の了解を取り付けるべく、治済のもとへ訪れていた。無論、重豪も同席している。治済が意次に島津が納得しなかったことを詫びると、重豪は意次に葡萄酒を勧めてきた。「蘭癖大名」を自称する重豪らしい振る舞いである。
「これより先は、西洋の知を学びいたずらに銀を吸い上げられるだけの国より脱するが肝要!」と言う重豪に、意次は亡き平賀源内(安田顕)を重ねて目を伏せた。そして意次は、御台所は宮家もしくは五摂家の姫が習わしだと2人に説く。種姫(小田愛結)ならば養母である宝蓮院が、五摂家のひとつ・近衛家の出身であるため、その条件を満たしているのだ。
「はあ、分からんのう。田沼殿にとり、種姫様を御台様とされることのどこにうまみがあるのだ? 種姫様の後ろにおるのは白川様。田沼殿が目指す世の形の邪魔になるとしか思えぬが」と、重豪はあけすけに踏み込んでくる。「そこはございますが、上様の望みひとつ叶えずして目指す世もございますまい」と返したものの、何とも分が悪い意次は、目の前の葡萄酒を一気に飲み干した。
「あの田沼意次が踊らされるなんて」
ここは、徐々に追い詰められる意次に視聴者の関心が集まったと考えられる。
政敵である田安家の種姫が豊千代の正室となることを避けたかった意次だが、忠誠を誓う主君・徳川家治の意向を受けて、種姫を正室とすべく治済と重豪に対面する。しかし、意次の心中は治済と重豪に見透かされており、揺さぶりをかけられた。
SNSでは、「あの田沼意次が踊らされるなんて、恐ろしい2人だな」「歴史にうとい自分でも、今まで少しずつ散りばめられてきた治済の策略が1つ形になったのは分かって鳥肌が立った」「自分の手を汚さず、意次を追いつめる治済が一番やばいな」と、恐るべき政治力を発揮する治済にコメントが集まった。
今回初登場した島津重豪は、島津家・第二十五代当主であり、薩摩藩の第八代藩主。重豪の正室は治済の姉である保姫。十一代将軍・徳川家斉の義父として「高輪下馬(たかなわげば)将軍」と呼ばれるほど権力をふるった。教育に力を注ぎ、資金難で頓挫していた藩校・造士館を1771(安永元)年に開校。続いて武芸の稽古場として演武館を設立する。さらに、1773(安永2)年には暦学や天文学を学ぶ明時館、1774(安永3)年には医学院を創立した。
重豪は武士階級だけでなく百姓・町人などにも門戸を開き、藩全体の教育水準の向上に努めた。また、作中でも自称していたが、蘭癖大名と呼ばれるほど蘭学やオランダの文化に傾倒していた。オランダ商館長・カピタンを務めたティチングやドゥーフ、ドイツの医師・博物学者であるシーボルトと親交を深めている。シーボルトとは曾孫である島津斉彬と一緒に会談している。
重豪は幼いころから聡明だった斉彬をかわいがっていた。ちなみに斉彬といえば、2018年の大河ドラマ『西郷どん』で渡辺謙が演じている。そして、斉彬の正室は一橋家の姫。島津家と一橋家は密接なつながりがある。
今回、幕府の主要人物たちが飲んでいたワインだが、1549年に宣教師・フランシスコ・ザビエルによって持ち込まれた。当時は上流階級の間で嗜好品や贈答用として流通していたそうだ。