3番目に注目されたシーンは20時42分で、注目度75.1%。大田南畝(桐谷健太)の『菊寿草』が界隈で話題となるシーンだ。
蔦重が耕書堂に帰ると、次郎兵衛(中村蒼)とりつ、歌麿の3人が勢いよく蔦重に駆け寄ってきた。そして、興奮した様子の次郎兵衛は、蔦重に一冊の本を手渡してきた。本の表紙には『菊寿草』と書かれている。『菊寿草』は、平賀源内(安田顕)にその才能を激賞されたという南畝が、今年に出版された青本を全て読み、番付にしたものであった。
『菊寿草』によると、朋誠堂喜三ニの『見徳一炊夢』が極上上吉、つまりもっとも面白いと評価されていた。蔦重が目を見開いてその部分を読んでいると、当の喜三ニが恋川春町とともに姿を現した。今度は蔦重が喜三ニに駆け寄り『菊寿草』を手渡すと、「おめでとうごぜえやす!」と喜色満面の笑みを浮かべて、喜三ニの快挙を喜んだ。
どの時代も人はランキング好き
ここは、突如舞い込んだ吉報に視聴者の関心が集まったと考えられる。
評判はいいが目立たない喜三ニの『見徳一炊夢』だが、思わぬ形で高評価を受けた。番付で下にされた鶴屋と西村屋はとても不快そうだった。SNSでは、「喜三次さん、今でいう本屋大賞を取ったみたいなもんかな」「人は昔からランキングが好きなんだね。どの時代もやっていること変わらないな」「大田南畝に評価されるっていうのがすごいってのが伝わってくるな」と、喜三ニと耕書堂の躍進が祝福されている。
『菊寿草』の作者である大田南畝は相当の大物文化人だった。1749(寛延2)年生まれの南畝は蔦重の1つ年上で、本職は勘定所のエリート官僚。貧しい下級武士の出身だったが、幼いころから学問や文筆に秀でており、15歳の頃に江戸六歌仙の1人だった儒学者であり狂歌師でもあった内山賀邸に師事する。借金を重ねつつも勉学に励み、後に朱楽菅江、山崎景基とともに狂歌三大家と呼ばれた。
19歳の頃、同門の平秩東作(木村了)の後押しもあり、1767(明和4)年に初の狂詩集『寝惚先生文集』を刊行している。その際、平賀源内が狂歌師・風来山人として序文を寄せている。南畝の優秀さを示すエピソードとして、松平定信(寺田心)の寛政の改革で、旗本・御家人とその子弟を対象に朱子学の知識を試す学問吟味という試験が行われた際、南畝は将軍に謁見する資格のない御目見得以下の身分の中で首席で合格するという成績を残している。次回、初登場を果たす大田南畝だが、果たして注目されたシーンにランクインするのだろうか。