心臓のバクバクが止まらない。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の第15回「足固めの儀式」(脚本:三谷幸喜 演出:保坂慶太)は傑作スリラー回。上総広常(佐藤浩市)のみせしめ死によって鎌倉幕府の“足固め”が行われた。

  • 『鎌倉殿の13人』上総広常役の佐藤浩市

坂東武者たちが源頼朝(大泉洋)にクーデターを起こすためでっちあげた万寿の「足固めの儀式」が回り回って別の意味の足固めに。文覚(市川猿之助)が鶴岡八幡宮で儀式を執り行っているとき画面が若干斜めに傾いでいて、それが事態の不穏さを物語るようだった。

頼朝は側近・大江広元(栗原英雄)と図り、坂東武者の反乱を粛正するため広常を犠牲にした。彼は北条義時(小栗旬)に頼まれて反乱に加わっただけ。だが義時にそうさせたのも頼朝と広元の策略であったことがなんともぞっとする。

予期しなかった上総殺害計画を知ってこんなはずじゃなかったと焦る義時、三浦義村(山本耕史)に「鎌倉殿に似てきたぜ」と指摘され言い返せない義時、殺戮現場で無言でいるしかない針のむしろ状態の義時、無残に死んだ広常に涙する義時、頼朝と広元の策略にハメられたことを知ったときの呆然とする義時……このじわじわと追い詰められていくサスペンス感満載の表情の変化が圧巻であった。追い詰められて爆発する演技が得意な俳優はいるが(藤原竜也などが代表格)、小栗旬は爆発する前の長いストロークにこそ味わいがある俳優である。そこを実に多彩な表情で引っ張っていく。

序盤、義時が万寿誘拐作戦を止める際、和田義盛(横田栄司)の性格をついた畠山重忠(中川大志)の「思いとは逆のことを言う」作戦ににやりとしていたら、それと同じような仕掛けに自分が乗せられていたことを知ったときの絶望といったらないだろう。

絶望といえば、「武衛」「武衛」とすっかり頼朝になつき、「御家人なんざ使い捨ての駒だ」「己の道をいけばいい」と言っていた広常が、まさに駒のように扱われ、頼朝に見捨てられたと知ったときの絶望の表情も圧巻だった。梶原景時(中村獅童)に斬りつけられ驚く広常、善児(梶原善)に事前に脇差しをすられていたことに気づく広常、戦う武器がなく、小四郎は目を合わせないし、頼朝は冷ややかでどうにもならない広常。この時代に重要な烏帽子がとれて拠り所のなくなった広常。魂の抜けた広常……どの表情も鮮烈。演じた佐藤がNHKの公式サイトで語るインタビューによると最後は「お前は俺になるんじゃねぇ」という気持ちで義時に微笑んだそうだ。この笑みが「微笑み」とシンプルに言い表すだけではもったいないほどの多層的なもので。名優、ここにありだなと感じる、上総広常、最期の場面だった。

振り返れば、頼朝と最初に会ったときの広常はいつでも斬りかかる気持ちでいたし、第10回では佐竹義政(平田広明)にいきなり斬りつけていた。本来、常に斬るか、斬られるか、緊迫した状況に生きてきた人物がいつの間にか文字を習い、頼朝の御家人にふさわしい格を身に着けようとしていた。死後、たどたどしい字で書いた手紙が発見される。そんな涙ぐましいエピソードもあるからこそ、余計に広常への哀しみが募る。だからこそ用心すべき人物となったのだ。坂東武者最大勢力であり、強い武力を持ち、人望も厚く、そのうえ学も身につけたら頼朝にとって脅威である。広元は「最も頼りになる者は最もおそろしい」と言っている。源氏のためでなく坂東武者のために戦っている者はいつ源氏を裏切るかわからない。肉親しか信じないという頼朝の根拠はそこにある。

『鎌倉殿』は徹底して無情だ。一見、情を感じることにじんわりしていたら寝首をかかれる。そこがおもしろい。この情け無用の心理戦、三谷幸喜は『真田丸』でも中心に据えて書いていたが、そこでは喜劇として書くことが多かった。優れているが食えない策士・真田昌幸(草刈正雄)はユーモアあふれる人物として愛された。『新選組!』でも佐藤浩市が演じた芹沢鴨がそこでも組織のために粛正されたが、ひょうたんに滑って転んだことが死のきっかけになり、後々笑い話として語られるほどで、おかげで陰惨さはやや軽減された。それが『鎌倉殿』では徹底して情け容赦なく陰惨だ。

広常を殺す前に酒を酌み交わしたのは「わしなりに礼を尽くした」、その気持ちの表れであるとさらりと言う頼朝。ネットでは「頼朝嫌い」とまるでベストセラー『京都ぎらい』みたいな響きのワードがあがるほどで、いや、ほんと、こんな上司の下につきたくない。三谷幸喜にとっては喜劇も悲劇も紙一重なのかなと感じる。それは悲劇も喜劇もある瞬間の一瞬に煌めく光のようなものに向かって丁寧に積み重ねてつくりあげるもので、あははと笑えるものも、ぐさりと胸を差し抜かれるものも、本質は同じで、その瞬間に向けて一秒もズレのないように真剣に取り組んでいることなのだろう。歴史的資料として残ってはいるもののあくまで北条家に都合のいいように書かれたとされる『吾妻鏡』に詳細が記していない広常が殺された一件の詳細からこれだけのスリラーが生まれたことがすばらしい。北条家にとって語り継ぎたくない義時の笑い話にならない苦い思い出。

広常が亡くなった年に、義時と八重(新垣結衣)の間に泰時が誕生。生まれた赤ん坊がかすかに「ぶえい、ぶえい」と泣いたように聴こえたときの義時の表情。この間合い、この回で最も重要な部分だと思うのだ。義時の表情をどこまで残して終わるか、演出を担当した保坂慶太のセンスが光る。くっきり「ブエイ(武衛)」ではなくかすかな響きであるからこそ余計に気になる。それはつい神経を傾けたくなるナレーション(長澤まさみ)のささやき声の効果と似ている。なぜ、「ぶえい」と聴こえるような気がするのか。妄想が溢れて止まらない。

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