ランキングの前に、1975年~86年(ロン・ウッド前期)ってどんな時期?

この頃のストーンズは、ドラッグ関係のトラブルが深刻化。レコーディングにも影響を及ぼし、険悪な雰囲気に。真面目に音楽に取り組みたいミック・テイラーにとってはストレスがたまる状況で、とうとう彼は脱退してしまいます。そして、オーディションによる選考の上、ロン・ウッドが加入します。選考にあがった候補の中には、なんとスーパーギタリスト、ジェフ・ベックもいました。しかし、セッションの途中でいきなりいなくなってしまったりなど、やや自分勝手な印象あったそうで、彼は選ばれませんでした。どんなに才能があるといっても、毎日楽しく演奏できる人でなきゃダメだよ、ということでロンが選ばれたわけです(もちろん、ロンはフェイセズ、ジェフ・ベック・グループを渡り歩いたほどの名うてのミュージシャンではあります)。まさに後輩力炸裂です。

  • 『ロニー・ウッド・ストーリー~運命に愛された男~』(ワードレコーズ)ロンのミュージシャン人生を追ったドキュメント。数々の有名バンドを渡り歩いた人ですが、ストーンズでは、長らく安いギャラで働かされていたそうです。それを知ったビルがチャーリーに声をかけて、「ロンのギャラを俺たちと同じにしないなら、俺たちはバンドやめる」と言って交渉し、ロンのギャラが上がったそう

そして、ストーンズ史において最大の危機と言われる、キースのドラッグでの逮捕事件が勃発します。長期の懲役刑になる可能性もありましたが、キースの日頃のある行いで収監は免れました。しかし、ミックはキースが収監されたときに備え、他のギタリストを探していました。これにより、2人の仲に亀裂がはいります。後半の2枚 『アンダーカヴァー』 (1983年)、『ダーティ・ワーク』(1986年)では、不仲は最高潮に。そして「6人目のストーンズ」としてメンバー同士のもめごとをおさめてきた、イアン・スチュアートが病死してしまい、不仲は修復不可能なレベルに……。その間をなんとか必死にとりもつロン。がんばれ! おまえの後輩力だけが頼りだ(つづく)。

トップ3から発表します! この3曲です!

1位:「スタート・ミー・アップ」/『刺青の男』 (1981年):133票
2位:「ミス・ユー」/『女たち』(1978年):83票
3位:「アンダーカヴァー・オブ・ザ・ナイト」/『アンダーカヴァー』 (1983年):63票
※n数=604

「スタート・ミー・アップ」は、1990年に来日したときのオープニング曲でした。映画『太陽を盗んだ男』で沢田研二(ジュリー)演じるテロリストの主人公が、原子爆弾を自作してまで政府に要求するのは「ストーンズの来日公演」です(正確には、池上 季実子さん扮する女性DJが発案し、主人公のテロリストがそれを採用する流れ)。日本のファンにとって、ライブを見るのは悲願中の悲願でした。90年に待ちに待ったストーンズがやっときて、東京ドームの天井を焦がすような火柱とともに演奏されたのが、この曲だったわけです。そりゃもうね、一生忘れられませんよ……。

1位の「スタート・ミー・アップ」(1981年)。初来日した1990年当時のツアーより。セットが豪華で、すごかったですね

「ミス・ユー」、「アンダーカヴァー・オブ・ザ・ナイト」は、どちらもディスコなどの最新のビートパターンを取り入れた名曲。「ミス・ユー」は、ライブの定番曲です。のせたり、じらしたり……この曲で、スタジアムクラスのコンサートでも、しっかり観客の心をつかんでしまいます。「アンダーカヴァー・オブ・ザ・ナイト」は、過激なPVでも有名。ストーリー仕立てですが、ミックは演技がうまい。

2位の「ミス・ユー」(1978年)。当時流行のディスコビートを取り入れた曲ですが、しっかりストーンズ調になっているのはさすが

3位の「アンダーカヴァー・オブ・ザ・ナイト」(1983年)。この頃、キースとミックは「第三次世界大戦」と呼ばれるスーパー不仲状態で、この曲は、完全にミックがイニシアチブを握って(というかレコーディングからキースをハブって)制作されました。スライ&ロビーのダンサブルなビートが印象的で、今聴いてもメチャクチャかっこいい

4位以下も発表します!

4位:「ホット・スタッフ」/ 『ブラック・アンド・ブルー』(1976年):60票
5位:「メモリー・モーテル」/『ブラック・アンド・ブルー』(1976年):49票
6位:「ダンス(パート1)」/『エモーショナル・レスキュー』 (1980年):48票
7位:「ハーレム・シャッフル」/『ダーティ・ワーク』(1986年):43票
8位:「トゥー・マッチ・ブラッド」/『アンダーカヴァー』 (1983年):35票
9位:「ホエン・ジ・ウィップ・カムズ・ダウン」/『女たち』(1978年):30票
10位:「友を待つ」/『刺青の男』 (1981年):27票
※n数=604

「友を待つ」は、伝説のジャズサックス奏者、ソニー・ロリンズの流れるようなサックスもいいですが、PVがいいですね。日曜日のお父さんのような格好で、アパートの前で人待ち顔のミック、そこへヨロヨロとキースがやってきて一緒にクラブへ。チャーリー、ビル、ロンの3人と合流してやがて演奏しだす……。この頃の騒動もろもろ、そしてこの5人がもう揃わないことを考えると、さすがにこれは泣けます。

10位の「友を待つ」 (1981年)。ミックが待ちぼうけしているアパートの階段に座っている白いTシャツの人は、『解禁せよ』でおなじみのレゲエ歌手、ピーター・トッシュ。この人は、ストーンズのレーベルからもアルバムを出していました。ボブ・マーリー、ジミー・クリフらと並び称されるアーティストでしたが、1987年、強盗に射殺されてしまいました……

この時期、アルバム単位でどれか一枚と言われたら

『女たち』(ユニバーサル ミュージック)ですかね。ジャケットもとびきり楽しいし。最大の解散の危機を乗り越えた時期でもありますからね。ねちっこいノリの「ミス・ユー」、2本のギターが絶妙にからむ「ビースト・オブ・バーデン」、パンクへの回答である「ホエン・ジ・ウィップ・カムズ・ダウン」などなどありますが、エピソード的には、「ビフォー・ゼイ・メイク・ミー・ラン」でしょうか。

  • 『女たち』堕落した金持ちロッカー、とパンク勢に攻撃されていたストーンズ。当時メンバーもかなり意識していたそうで、パンクに対抗する意味であえてコード数を減らしたシンプルな曲も収録しています。ロン加入後では、一番の名盤との呼び声も高い一枚です

当時、ドラッグ中毒でどうしようもなかったキースは、「次に死にそうなロックスター」ランキングで毎年1位に選ばれるような状態でした(この頃のキースはガリガリに痩せていて、目もうつろ。今見ても、とてもつらい)。そしてとうとう1977年に、ライブレコーディングのために訪れたカナダ、トロントで大量のドラッグ所持より、逮捕されてしまいます。最悪終身刑、よくて懲役7年とも言われ、キース絶体絶命です。

そんな彼を救ったのはカナダに住む、一人の盲目の少女、リタ・ベダードでした。彼女は盲目というハンデがありながら、ストーンズのコンサートがあるときは、ヒッチハイクで会場まで駆けつけていました。それを知ったキースは、彼女が無事会場につけるように、数年前から、こっそり送迎の車を手配してあげていました。キースの逮捕を聞いたリタは、裁判の判事を探しだし、キースの真実の姿を伝えました。その結果、懲役刑はくつがえり、「罪滅ぼしに、盲目の人のためのコンサートをしなさい」という粋な判決が下り、キースは懲役を免れました。

2015年に再会したキースと“Blind Angel"リタのツーショット。ストーンズファンは、リタに足を向けて眠れません。この人の勇気ある行動がキースを収監から救い、ドラッグ中毒からも立ち直らせたわけですからね。粋な判決をしたトロントの裁判官も素晴らしい

このあたりから、キースはドラッグをやめます。「あんなのに人生をまかせるなんて、くだらないぜ」と彼が歌った「ビフォー・ゼイ・メイク・ミー・ラン」が『女たち』に収録されています。ほかにも、「ミック、やんちゃしちゃって、ごめん」とばかりにキースが書いたのが「ビースト・オブ・バーデン」です。ライブ映画『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』で、夕暮れせまるスタジアムでこの曲の演奏がはじまるのはハイライトのひとつ。ぜひチェックを。

「ビフォー・ゼイ・メイク・ミー・ラン」(1978年)グラムをはじめ、たくさんの友人をドラッグで失ったキースが絞りだすように歌っています。この裁判の一件以来、キースは配慮ある判決を下したトロントが大好きになりました

「ビースト・オブ・バーデン」(1978年)ドラッグでラリってばかりだったキースに代わって、バンド活動という重荷を背負ってきたミックを「重い荷物を運ぶ馬や牛(ビースト・オブ・バーデン)」に例えた歌。「ミック、すまんかったね」というキースの気持ちがこめられています。この2本のギターのからみは、ロンとキースじゃないとできないですね。織物のタテ糸とヨコ糸のような見事なアンサンブルです