90年代に数多くのバラエティ番組、ドラマ、CMなどに出演して一躍人気者となったタレント・鈴木蘭々。2018年に芸能生活30周年を迎え、現在では舞台を中心とした俳優業のみならず、自身がプロデュースする基礎化粧品ブランド「NARIA COSMETICS」を販売する会社の代表としても活躍している。そんな彼女に多くの人が持つイメージは大ヒットしたデビュー曲「泣かないぞェ」の明るくポジティブでエネルギー溢れる姿だろう。とはいえ、コロナ禍で変わってしまった世の中におけるモヤモヤした気持ちは我々と同じはず。今この時代をどんな思いで生きているのか?近年再開した音楽活動の話を中心に、故・筒美京平さんとのエピソードなどを交えてお話を訊いた。

  • 鈴木蘭々が語る過去と現在

役を演じるって本当に奥が深いし何よりも体力と精神力が必要

――先日まで、舞台(高橋悠也×東映シアタープロジェクトTXT vol.2「IDアイディー」)で「教授」と「アバター」という2役を演じていらっしゃいました。教授役は立ち位置的に悪役っぽいというか、むずかしい役どころじゃなかったですか。

鈴木:そうですね、教授は全宇宙の創造主的な立ち位置で、教授の掌の中で全ての生命は操られ奔走させられる。簡単に命を消したりまた創造したり……。操られる方からすれば簡単に消されたりするので悪役のようにも見えるのかも知れないけれど、教授としては永遠の時の中で壊しては再生する事を当たり前に繰り返しているだけの感覚なんです。ただひたすらに純粋に…美しい世界を作り上げる為に、それを実体の人物としてどんなキャラで演じるのかはとても難しかったです(笑)。台本上ではダークなキャラの感じが強かったのですがそこにポップさをプラスして、最終的にダークポップというキャラに落ち着きました。

――答えが出ないというか、観た人それぞれが自分の「ID」(アイデンティティ)について考えるような内容だったと思います。蘭々さんご自身はどんなことを考えてましたか?

鈴木:あの舞台はDVDになるんですけどその中で行われるインタビューの質問で、「役者としての鈴木蘭々のIDは何ですか」と聞かれて、ぽかんとしてしまいました。鈴木蘭々としてじゃなくて役者としてのIDを聞かれたものだから一応そこでは答えたんですけど、あの答えでよかったのかなってちょっとモヤモヤしちゃって三日間くらい引きずっちゃいましたよ(笑)。役者としてのIDなんて改めて考えたこともなかったんですけど、考える中で私の場合は役を演じている自分よりも演じていない素の自分の方がもしかして好きなのかも、と思いました。決して演じる事が嫌いというわけでは無いんですが。

――演じていない素の自分の方が好きな蘭々さんが、自分と違う人間を演じることについてはどう感じていらっしゃるのでしょうか。

鈴木:役を演じるって本当に奥が深いし何よりも体力と精神力が必要で、正直疲れます(笑)。 そしてとても不思議なもの……かつて代役を務めた舞台「キレイ~神様と待ち合わせした女~」なんかはずっと同じ作品を何年かごとにキャストを変えてやってるじゃないですか、主役や配役が変わると全く新しい作品になる…同じ台詞言ってるのに!不思義!!因みに自分の回は未だに客観的に物語としては見れません!大変だった思い出が多すぎて(笑)。

――今回の舞台も、よくこんな難解なセリフをスラスラ喋ることができるなって感心しちゃいました。プロの役者さんに言うことじゃないですけども(笑)。

鈴木:いやー今回は本当に台詞が入らなくて苦戦しましたよ。しかも幕が開いてからも結構間違えてました。しかも今日は完璧だった!と大千秋楽とか物凄く満足した気持ちとやり切った爽快感いっぱいで帰ったのに配信を見直したら間違えてたっていう。そんな自分にまたモヤモヤしました。

音楽活動を再開したきっかけ

――最近はお芝居だけじゃなくて配信で新曲を出したりもしていますよね。今、音楽についてはどのように活動していこうと考えているんですか。

鈴木:全然考えてないんです……逆にどうしたらいいですかね(笑)。

  • 音楽活動を再開したきっかけは?

――そう言われても(笑)。衝動的にやってる感じなんですか?

鈴木:自分としては芸能生活25周年目の時に音楽劇みたいなステージをやって、それを1つの節目として踏ん切りをつけて化粧品ビジネスにシフトしていこうと思っていました。 しかし30周年を目前とした頃、ポンキッキーズのエンディング曲でもあった「キミとボク」という曲の大ファンであると言うベーシストで音楽プロデューサーでもある立川智也さんのお声がけから何となく音楽活動が始まった感じです。当時ポンキッキーズの作家であった舘川さんと立川さんと私の3人でご飯を食べなから「歌はもう歌わないんですか?」って聞かれてその時は「歌わないです」と答えました。

――歌うのは好きなはずなのに、なんでやりたくなかったんですか。

鈴木:その時は本当に歌う気持ちになっていなかったし実際音楽を日常聴いてもいなかった。「ライブやりましょうよ」と言っても頂いたんですが2013年の音楽劇はうちの会社が主催だったのですが、企画制作キャスティング出演と、ほぼ1人でやって物凄く大変だったので腰も重かったんです。でもライブハウスでやるとそこまで大変じゃ無いし、バンドのメンバーも集めるし、制作面ではこちらがサポートするし、なんだったら新曲まで書いてくれると言うので(笑)。

――それでやらざるを得なくなったという(笑)。そもそも、歌いたくてデビュー当時からやってきたわけですよね。

鈴木:デビューの時は歌にこだわってやってたんですけど世間の厳しい風に心が折れたのかもしれません。ヒットしないと次はないという時代だったので……。自分が全部作詞作曲できるアーティストだったらまた別なのかもしれませんけど、作曲も編曲もしてもらう立場だから売れないと次はないし売れないってことは歌うなって言われてることと同じ感覚でした。でも今ってすごく自由度が上がっていい時代ですよね、まずCDと言う形にしなくてもいいし、レコード会社に必ず所属しなければ歌は世に出せないと言うわけでもない、一年に何枚必ず出さなきゃいけないという決まりも今の私にはないし、タイアップがつきそうな曲調を選ばなきゃいけない縛りもない。何よりも音楽制作に昔よりお金がかからない(笑)。歌録りもわざわざスタジオに赴かなくても最悪家でも可能っていう凄い時代ですよね。2018年から音楽活動を地味ながら再開した第一曲目は「迷宮輪舞曲」という曲です。あまりにも久しぶりに歌詞を書くことに挑んだのですが、「泣かないぞェ」という私のデビュー曲の歌詞を一生懸命書いていた頃の自分がフラッシュバックしたりして凄く良い時間でした。

――その後も新曲を配信リリースしてますよね。

鈴木:2018年のライブの時、終演後にお客さん全員と握手をしてお見送りしたんですけどエイベックス時代のディレクターと当時の私の事務所のマネージャーがお忍びでこっそり見に来ていたんです。20年ぶり位の再会で、何で来てるのって私もとても驚いて、その後日ご飯を食べました。ダブルオーレコードからデビューしてその後エイベックスに移籍して、エイベックスから出したのは「be with you」の1曲だけだったんですけど、あの当時は物凄い数のプリプロをやっていて、その中で忘れられない曲っていうのが彼らにはあったらしくいまだに車の中でかけてるって言うんですよ。

――その曲をなんとかリリースしたいと?

鈴木:そう、せっかく音楽活動を再開したんならやらない?と持ち掛けられて、でもすごく悩んだんです。歌い方も声質も年齢を重ねて当時とは変わってきているし……。どっちにしても録り直す訳なんですが、今録って良いものができるのかなって。で、とりあえず昔の音源をもらってお風呂場で歌ってみたりしたんですけど、歌ってみたら案外いけそうな気がする(笑)と思って「ビュリホービュリホー」という曲を配信リリースしました。結果ミュージカルの経験が功を奏して当時より歌の表現力はアップしたものができました。