「泣かないぞェ」のエ、っていうのは筒美京平さんがつけたんですよ
――2019年にはバースデーライブも開催されましたし、その後も蘭々さんの音楽活動への期待ってあると思うんですけど、そういう反響はどう受け止めてますか。
鈴木:私は人気とか反響とかいうことに対してはとても冷静な受け止め方をする癖があって、もちろん長い間歌うことを待っててくださったファンの方もいらっしゃることは確かで、ライブを本当に楽しみにして足を運んで下さった方々もいるんですが、気持ちとしてはキャリアなんて一切無い新人に戻って1からやり直しているような感覚でやってます(笑)。
――独特な捉え方をしますね。それは30年以上芸能生活を続けてきてそういう考え方に至ったんですか。
鈴木:もともとそういうところがあるんですよね、昔のインタビューを見たら、「山があれば谷もあるって言うから人気が出た後は絶対下がると思うんです」って言ってるんですよ。20歳位の、「泣かないぞェ」とか歌ってた頃に(笑)。
―― 冷静ですね(笑)。一番音楽にこだわっていたのはその頃ですか。
鈴木:ただ歌うことが好き、聴くことが好き、歌手になるのが夢、と言うところから一歩踏み込んだ意識を持ち始めたのは高校生の時でした。私の通っていた代々木高校は先輩にSMAPの木村拓哉さんと中居正広さんがいたり、芸能界を目指す子たちが結構多くて、同じクラスにも自分で歌詞を書いてピアノの弾き語りをしていたビーイング系のアーティストの卵がいたり、私もそんな子たちに影響されて自分は歌手デビューする予定も何もないのに(笑)。歌詞を書いたりしていました。
――全曲筒美京平さんプロデュースの1stアルバム『Bottomless Witch』(1996年3月21日発売)ではデビュー作にしてご自身でもかなり歌詞を書いてます。これは本当に名盤ですよ。
鈴木:ありがとうございます。今振り返ると本当に贅沢な製作陣でのアルバムでした。でも当時はそのことには気づいていなかったように思います。とにかく分刻みのスケジュールの中で合間を縫ってのレコーディングで、夜中の2時から2時間だけ歌うみたいな時もあって、眠い……声でない……みたいな記憶の方が強いです(笑)。でも歳を重ねてから「泣かないぞェ」、とか聞くと自分の曲ながらめちゃくちゃいい曲じゃん!みたいな(笑)「なんでなんでなんで」のオープニングの疾走感とかとてもかっこいいと思うし、曲の良さを再認識したのは2018年のライブの時に初めてアコースティックで歌ってみて気がつきました。派手なアレンジがなくてもメロディーと歌詞だけで充分に曲の世界観が伝わる。なんならよりいい曲に聴こえる、それほどメロディー自体に力がある、凄いなあと思いました。
――「泣かないぞェ」をアコースティック・アレンジで1曲目に歌ってましたもんね。
鈴木:そうです。歌いながら自分自身も凄く曲の世界に入ることができました。京平さんと言えば超大御所の方ですから曲は書いても普通若手のレコーディング現場なんかには来ないんですよ。でも私の現場にはいつも来てくださっていて、これは最近聞いたことなんですけど「of you」や「mother」を書いてくださった作曲家の平井夏美さんに、あなたは本当に京平さんに愛されていたよと。あの当時、京平さんが現場に来ることはまずないし、書いた歌詞についてまで一緒に考えてくれたりとか、新人のくせにこだわりが強い生意気な私とディスカッションしながら作品を作り上げるという、当時ではありえなかったことが行われていたらしいんです。
――その頃は忙しすぎてそういうことを感じる余裕もなかった?
鈴木:忙し過ぎてというよりは自分が若くて無知だったんです。ハズカシイ……。京平さんからデビューのお祝いと20歳の誕生日も兼ねてグッチのバッグをプレゼントしてもらったこともありました。こんなブランドが似合う大人になりなさいって、京平さんが亡くなった時はコロナでお葬式も大きくは行われなかったみたいなのでカラオケに行って京平さんとの思い出を振り返りながら京平さんが書いた曲ばかりを歌いました。ヒット曲をこんなにも量産する才能が偉大過ぎると、しみじみ思いました。ところで5月にリリースした曲 「just do it do it over」のMVで負けないぞエって書いた応援旗を振っているんですけど、あれは私の中では京平さんへの追悼なんです。私のデビュー曲「泣かないぞェ」のエ、っていうのは京平さんがつけたんですよ。
――そうだったんですか!? それは知りませんでした。このアルバムはカバーも含めて全曲筒美京平さんの曲(「ハッスルジェット」は変名のジャック・ダイアモンド名義)ですが、筒美さんにとって初のヒット曲「渚のうわさ」(1967年)が入っていたり、結構思い入れのある曲を歌わせてもらってる感じですよね。
鈴木:そうですね、非常にバラエティーに富んだ曲が満載のアルバムでした。京平さんは私の歌声と歌い方をすごく気に入ってくれたみたいでとても褒めてくださいました。
もしかして人間てありのままで良いのかもしれない
――そういえば先日YouTubeにアップした「KIRINJIの「愛のCoda」歌ってみた動画」を観て、やっぱり歌上手いなあって思いました。
鈴木:ありがとうございます。
――うつ伏せで歌ってるのになんだあんなに上手く歌えるのかなって。
鈴木:そこの部分をみんなに言われるんですけど、声を張り上げるようなタイプの曲では無かったので、いつも風太くんとマロちゃんとリビングで寝転がってYouTubeで昔のジュリーの動画や昭和歌謡や色んな歌に合わせて歌ったりしてるからわりと日常なんです。椅子に座ってとか立って歌ってもよかったんですけど猫達が画面に入らないのでうつぶせで歌いました。でもロックを歌うんだったら無理かも?
――2ndアルバム『One and Only』(1996年11月21日発売)ではガラッと雰囲気が大人っぽいR&Bテイストに変わりましたよね。近年のライブでパティ・オースティン「That's Enough For Me」をカバーしたりしてたのを聴くと、音楽的にはこちらの方がより蘭々さんがやりたい音楽だったんじゃないですか。
鈴木:そうですね。兄の影響で子供の頃から洋楽も沢山聴いてましたから、『One And Only』はディレクターが私のいろんな一面を出したいという気持ちがあったんじゃないですかね
――2ndアルバムが出た後に大阪・心斎橋クラブクアトロ(1996年8月26日)と東京・赤坂BLITZ (同年8月28日)にライブを行ってますけど、どんな感じだったか覚えてますか?
鈴木:あんまり覚えてない(笑)ただその時のライブを収録したビデオを見たとき下手すぎて見るのをやめた記憶があります。歌が上手いねって褒められることはあるんですけど、私は自分の生歌がうまいなんて思ったことは1度もなくて、ほんと下手だなってずっと思ってたし今も思ってます。いつも自分の思った通りに歌えなくて毎回後悔してる感じ。
――そんなことないと思いますけど。そういう自己評価があんまり高くない等身大の自分でいられることが長年続けてこれた理由なんですかね?
鈴木:それはわかりません。でもおっしゃる通り自己評価はあんまり高くないタイプだと思いますね、自分の良いところよりも悪いところの方が目につきます。先日の舞台でもスケジュールがきついのと一人二役で、電子銃で打たれてぐあー!!ってなるお芝居をしたり、殴られて吹っ飛ぶ芝居があったり、体力的にもすごく疲れたんですね。大千秋楽が終わってから燃え尽き症候群みたいになっちゃって。会社の決算も重なってたから本当は書類にも目を通さなきゃいけなかったし、でもその業務は本当は6月にやるつもりだったけれど稽古がきつすぎてそっちに意識が回らなくて、舞台が終わってからまとめてやろうと思ったけど疲れきってしまって手がつかなくて。すべてを先延ばしにしてやらなきゃと思っているのに出来ない自分にモヤモヤしてたんですよ。でも疲れたーとか言ってやるべきことに背を向けて動かない癖にお腹だけはすくんですよね(笑)。で、お腹がすくから何かを買いに行くわけです。それでスーパーに行く道すがら、「なんて私は愚かなのだ!」とか思うんですよ
――なんでですか(笑)。
鈴木:お腹がすいた時ばっかり動いていやしい私め!みたいな(笑)。でもそんなこと思ってる自分にもまたモヤるんですけど。そんな時たまたま前を通り過ぎた車のナンバーが2525だったんです、2525……もしかして……ニコニコ?笑う角には福来たる!何をモヤモヤしてるのだ、笑っとけっていうことなのだろうか……なんて考えながら歩いていたら今度は歯医者さんの入り口に置いてある子供用のぬいぐるみが持っているプラカードに「オーケー」と書いてあってそれを見たときに、もしかして人間てありのままで良いのかもしれないと思いました(笑)。
――(笑)。結果、前向きになれたということですか。
鈴木:そうです(笑)。疲れていてできないことにモヤっていても、自分の能力的にはそれ以下でもそれ以上でもないんだからできない自分ということを素直に受け入れて笑っておけということなのかもしれないなって(笑)。
私自身も過去の私に励まされることもありますよ
――というか、そういう「ありのままでいることが素晴らしいんだよ」っていうことを、蘭々さん自身が発信していると思って90年代から今まで見てきましたよ。
鈴木:きっと自分の本質はそうじゃないから、発信をすることでそういう人間であろうという布石を打っているんじゃないですかね、自分自身に。
――「Just Do it, Do it over」だって、いろんなところをまわってみんなを元気にするっていう応援歌ですよね。
鈴木:でもそんな歌を歌っていながら一方で私が人のことを応援できるほどの人間なのかっていう思いが同時にでてくるわけなんですよ(笑)。私ごときの人間の応援に何の意味があるんだろうか、おこがましい!みたいな(笑)。
――MVが世に出て、「鈴木蘭々がみんなを元気にする!」って学ランを着て応援旗を振っているわけじゃないですか?
鈴木:それなのにMVの自分を見ながら、「私め!おこがましい!」っていう考えが浮かんでくるんですよ、まったく何なんですかね。
――(笑)。おこがましくないですよ、励まされましたよ。
鈴木:そうですか、じゃあよかった(笑)。私自身も過去の私に励まされることもありますよ、「泣かないぞェ」の〈いつものことだとぐーっと言い聞かせてもちょっぴり悔しい〉の歌詞の部分とか、そんなこともあったかなぁ……それでも頑張ってきたじゃん、私、とか(笑)。
――デビュー以来、いろんな変遷があって、今は芸能活動のほかに化粧品販売会社の経営もしていらっしゃいますけど、30年以上こうしてお芝居や音楽も続けているのは、やっぱり人前で表現することへの思いがあるんだろうなって感じました。
鈴木:思いというか……他にできることがない(笑)。13歳の頃から芸能の仕事をしているのでやはり自分のベースはそこにあるし、多くのことを学ばせてもらった場所でもある。積み上げてきたものを大事にしていくことが頑張ってきた自分へのリスペクトであり、またそこに関わってきてくれた人へのリスペクトでもあると思うので、これまで積み上げてきた柱は大事にしつつ幅を広げていくイメージで日々奮闘しております。時代の変容も目まぐるしくて、勤め先や今までの常識に依存出来ない社会になりつつあるので、会社をはじめてからの自分のテーマは「自立と柔軟な思考を心がける」ですかね。