WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)第2回大会で日本代表の優勝を支えた伝説的スコアラーとして知られる三井康浩氏は、選手として入団した読売巨人軍に引退後も残り、スコアラー、査定担当、編成担当などと役割を変えながら40年にわたり在籍した。目の前を通り過ぎていった選手は数知れず、選手たちの苦闘を見つめ続けてきた「観察者」でもある同氏に、知られざる選手の姿を聞くインタビューは、豪快かつチャンスに強い打撃で日米のファンを熱狂させた、「ゴジラ/GODZILLA」松井秀喜について。

  • 25歳・松井秀喜の打撃が突如狂った。「変えない男」が「変える」決断をしたとき /元読売巨人軍、チーフスコアラー・三井康浩

揺るがない自らのスタイルを確立させ、立ち向かってくる投手を粉砕し巨人の4番に君臨した松井に経験したことのないスランプが訪れた。25歳の春の出来事だった。

■「変えてみる」ことをあまりしなかった松井秀喜

1990~2000年代のプロ野球を牽引したスター、松井秀喜。1992年、夏の甲子園では相手バッテリーから5打席連続敬遠という空前絶後の警戒を受け、同年秋のドラフト会議では、待望の球界復帰を果たした長嶋茂雄監督に見事交渉権を引き当てられ巨人軍に入団する。

2年目で主軸に、3年目にして巨人軍の4番打者も経験する。10年間で本塁打王と打点王を各3回、首位打者も1回獲得。その後はFAでニューヨーク・ヤンキースに移籍。巨人同様に伝統を備え、関係者やファンから厳しい視線を注がれるチームでレギュラーをつかみ、2009年にはワールドシリーズMVPを獲得するなど、MLBに挑んだ日本人野手としては最高レベルの活躍を果たした。

——松井選手が日本でプレーした10年は、三井さんがスコアラーとして手腕を発揮した時期とほぼ重なるかと思います。その進化を近い距離で見てきたと思いますが、松井選手が入団してきたときの印象はどのようなものでしたか?
三井 率直に「こいつ、すげえな」と(笑)。存在感が他の選手とはあきらかにちがうと感じましたね。あちこちからものすごく注目されながらも、それを意に介さないふてぶてしさがあってね。本当に堂々としたものだった。ただ、プロ野球選手としては不器用な打者だなという印象も持ちました。

——確かに豪快ですし、どちらかといえば無骨なイメージがありますが、松井選手は「不器用な」打者だったのですか?
三井 選手のなかには、苦手な投手や球種に対応するためにフォームやスイングを変えて対応できる器用なタイプがいます。でも、松井はそれができるほうではなかった。あまり自分のスイングを変えたがらず、ひとつの理想を描きそれを目指し続けるタイプでした。フォームやスイングを変えながらもそれなりに打ててしまう打者は、本格的なスランプにおちいったときには迷路に迷い込みやすい面もあります。

いろいろなことを試したくなってしまうので、答えにたどりつくまでに長い時間がかかってしまうのです。その点、松井のようないつでも同じ打ち方をする打者は迷いようがない。超一流というのはそういう打者が多いように思います。それこそ、王貞治さんなども一本足打法にしてからはほぼ同じフォームを貫いて大記録を打ち立てていますよね。打ち方を大きく変えずとも成績を残し続けることができる、「器用になる必要がない」選手もいるんです。松井はそういう選手でした。

  • 1997年04月27日、松井が通算100号となる本塁打を放つ。このとき22歳。写真:スポーツニッポン新聞社/毎日新聞社

——スコアラーだった三井さんに対し、松井選手がたずねてきたことで記憶に残っていることがあれば教えてください。
三井 眼光鋭く投手を睨みつける打席での松井の姿を見て、投手との1対1の対決だけに集中する求道者のような打者だというイメージを抱いた人もいると思うんです。でも、それは少しちがう。松井は自分の打ち方を変えることには積極的ではありませんでしたが、いろいろな情報を用いた事前の準備を大事にしている打者でした。

スコアラーが見つけ出してくる投手のクセの話などにも興味を持つタイプで、たとえば当時ヤクルトにいて、のちにMLBにも挑んだ吉井理人(現・千葉ロッテマリーンズ一軍投手コーチ)のような、松井が苦手としていたような投手のクセが見つかると、すごく熱心に耳を傾けてくれたものです。