いまから14年前、2006年に現役を引退したヒクソン・グレイシー。無敗伝説を誇った彼だが、実は若き日に敗北を経験していた。父エリオの前で喫した2度の負け試合とは何だったのか? そこから最強の男は如何にして「強靭なメンタル」を得たのか? ヒクソンを追い続ける気鋭のスポーツジャーナリストが深層に迫る。

  • ヒクソンは無敗ではなかった。「最強の男」が敗北から学んだこととは…

    バーリ・トゥード(総合格闘技)最強の男と目されたヒクソン・グレイシーの「強靭なメンタル」は、若き日の苛烈な体験によって形成された。

■6歳の時、初めての試合で…

『400戦無敗』
最強の格闘家と呼ばれ続けたヒクソン・グレイシーに冠されたフレーズである。
1996年に初来日を果たした彼は日本で9試合を闘い、すべて勝利している。
『PRIDE1』(97年10月11日、東京ドーム)での高田延彦戦、『コロシアム2000』(2000年5月26日、東京ドーム)における船木誠勝戦は、いまも多くのファンの記憶に深く刻まれていることだろう。

2008年に現役引退を表明するまでヒクソンは、負ける姿を私たちに見せなかった。
だが、日本における試合以外のほとんどが記録として残されていない。そう、400戦のほとんどがリング上での試合ではなくストリートファイト、そして道場破りを相手にしたチャレンジファイトなのである。

ある時、私はヒクソンに尋ねた。
400戦無敗というのは本当なのか? これまでに一度も負けたことがないのか、と。
彼は静かな口調で答えた。

「最初に言っておきたいのは、400戦無敗というフレーズは私が口にしたものではない。初めて日本で試合をした時に、プロモーターが冠せたものだ。確かに私は、これまでに400戦以上闘ってきた。
だが、無敗ではない。二度、負けているんだ」

衝撃的な発言だった。では、その二度の敗北とは?
「私が柔術の手ほどきを受けたのは、2歳の時だったと父・エリオから聞いている。そして柔術の試合に始めて出場したのが6歳の時。そこで私は判定で負けたんだ。幼心に悔しかったことをよく憶えている。あの日のことは、50年以上経ったいまでも忘れられない。
負けた試合は、もう一つある。14歳の時の柔術の試合で、この時もポイント差によるものだった」

  • 1997年10月11日、東京ドーム『PRIDE.1』で高田延彦に完勝したヒクソン。日本のファンに大きな衝撃をもたらした。

■「負けるな」ではなく「全力をつくせ」

彼の父エリオは、グレイシー柔術の創始だ。6歳であった彼は、周囲から多大に注目される中、プレッシャーを感じて試合に臨んだことだろう。
そこで負けた。
試合の直後、エリオはヒクソンに近づいた。
多くの者は、ヒクソンを叱りつけるのではないかと思っていたが、そうではなかった。
「よく堂々と闘った」
そう言って息子を抱きしめたのだ。
14歳で負けた時には、エリオは何も言わずに見守った。

ヒクソンは言う。
「私たち兄弟は、グレイシー家に生まれたことで闘うことを宿命づけられたという人たちがいる。だがそれは半分は正しくて、もう半分は正しくない。
なぜならば、私は父エリオから闘うことを強要されたことが一度もないからだ。
グレイシー家に生まれたものは、物心がつく前に皆が柔術衣に袖を通す。だが、その後にバーリ・トゥードの舞台に上がるか否かは個人の意思に委ねられていた。
絶対に負けられないという雰囲気は、試合の際に常にあったよ。でも父から『負けるな』と言われたことはない。『全力を尽くせ』…そう言われ続けたんだ。
私は、一族のために闘いたかったし、幸いにも、その資質に恵まれていることを十代の頃に感じていた。それだけのことだ」

グレイシー一族を背負ってヒクソンが闘い続けたことは間違いない。だがそれは、強制されたことではなかった。彼自身が闘いの路を選んだのだ。
そして、2度の敗北を人生の糧とした。

■結果を恐れずにチャレンジせよ!

ヒクソンは、こうも話す。
「結果は、もちろん大切だ。闘う以上は勝たなければならない。だが、それ以上に大切なのはチャレンジする強い気持ちだ。最初から『負けてはいけない』などと考えてはいけない。負けることは格好悪いし確かに辛い。私も、それを経験した。
そして思ったんだ。できる限りのことをすべてやり尽くす。その先の結果は、神様が決めてくれるんだ、と。何も恐れることはない、冷静に自分の闘いをすればいい。
大切なのはチャレンジ精神を持ち、闘いに向けていかに怠りなくトレーニングができるか、そして闘いの場で全力を発揮できるかだ。
これは、格闘技でなくても同じだろう。
ビジネスにおいても学問研究でも、チャレンジをしなければ何も始まらないし、全力を出し切らねば成功は得られない」

これまでヒクソンについては、グレイシー一族に生まれたサラブレッドで才能に任せて常に勝ち続けた男として語られてきた。「400戦無敗」のフレーズとともに。
だが、実像はそうではない。
負けることの悔しさを若き日に噛みしめて自らを奮い立たせ、闘い続けてきた。そして、「最強」の称号を手にしたのだ。

ヒクソンの強さの秘密は、もう一つある。1980年代にヒクソンが経験したストリートファイトについて、次回は綴る。

文/近藤隆夫 写真 /真崎貴夫、SLAM JAM