1974年4月から1975年3月まで放送された特撮テレビシリーズ『ウルトラマンレオ』のBlu-ray BOXが、2018年12月21日に発売される。これを記念して、マイナビニュースでは『ウルトラマンレオ』で主役のおおとりゲン(テロップでは"おゝとりゲン"と表記)を演じた俳優・真夏竜にインタビューを敢行。歴代「ウルトラマン」シリーズの中でもひときわ過酷なアクションシーンを体験した真夏に、撮影当時の思い出や、放送開始から44年もの月日を経てもなお愛される『レオ』への思いを訊いた。

  • おおとりゲンを演じた俳優・真夏竜

かつて『ウルトラQ』(1966年)『ウルトラマン』(1966年)『ウルトラセブン』(1967年)といった「空想特撮シリーズ」が中心となって巻き起こったテレビ界の"怪獣ブーム"は、1968年に収束を迎えたが、その火種は消えることなく密かに燃え続けていた。

1970年になると、再放送や怪獣ソフトビニール人形がふたたび子どもたちからの注目を集め、1971年には『帰ってきたウルトラマン』が放送開始。見事に「第2次・怪獣ブーム」の中心的存在となり、高い人気を集めた。やがて『仮面ライダー』(1971~1973年)を代表とする等身大・実写キャラクター番組の人気が高まっていき、怪獣ブームは「変身ブーム」へと発展し、1972年にピークを迎えることになる。

『ウルトラマンA』はそんな変身ブームの真っただ中に作られたシリーズゆえに、主人公である北斗・南両隊員がウルトラリングで「合体変身」したり、必殺技・メタリウム光線発射ポーズに大仰なモーション(発射前に大きく上半身を後ろに振る)が入ったり、視覚的に派手な仕掛けが随所に施されているのが特徴となった。また『A』では、それまでのシリーズで活躍したヒーローたちを「ウルトラ兄弟」として積極的に共演させるという「イベント性」の強化も行われていた。

続く『ウルトラマンタロウ』では、ウルトラマンシリーズの決定版を目指すべく、『A』で登場したウルトラの父に続いて「ウルトラの母」を設定。母の愛に育まれて誕生した最強のウルトラ兄弟であるタロウと、奇怪な大怪獣たちとの戦いが描かれた。「華麗にロマンを謳う空想怪奇シリーズ」とシナリオ表紙に銘打たれた『タロウ』では、主人公・東光太郎の明るいキャラクターや、ZAT(ザット)隊員たちのアットホームな空気に見られるように、人間側のドラマは爽やかかつコミカルに描かれる一方で、怪獣が人間や動物を食べてしまうような怪奇なシチュエーションも多く描写され、さまざまな娯楽要素が詰め込まれた良質なエンターテインメントとして優れた内容のエピソードが続出した。

これらを経て送り出された『ウルトラマンレオ』は、それまでのウルトラ兄弟がみなM78星雲・光の国(ウルトラの星ともいう)という共通の故郷を持っているのに対し、現在は滅亡した獅子座L77星の出身という、新しい設定が作られた。シナリオ表紙に「生きる厳しさと哀しさを鮮烈に謳う」というキャッチコピーが付けられた『レオ』では、「故郷を失った孤高のヒーローが"第二の故郷"として守るべき地球のため、MAC隊長となったモロボシ・ダン(ウルトラセブン)に鍛えられながら戦士として成長を遂げていく」という、"SF熱血ドラマ"が志向された。

特に力が入れられたのは「アクション」の強化である。これまでのウルトラマンシリーズでも、ウルトラヒーローと巨大怪獣とのダイナミックな格闘戦が作品の大きなアピールポイントであり、『ウルトラマン』の古谷敏、『ウルトラセブン』の上西弘次、『帰ってきたウルトラマン』のきくち英一、『ウルトラマンA』の武内正治、『ウルトラマンタロウ』の長沢寛といった俳優たちは、みな独自のスタイルを打ち出しながらハードなアクションをこなしていた。

これを受けて『ウルトラマンレオ』のスーツアクションを務めることになったのは、JAC(ジャパンアクションクラブ/現:JAE)出身で、当時21歳の二家本辰己だった。抜群の身体能力と格闘センスを有する二家本がアクションを務めた(第1話では怪獣やウルトラセブンを務めていたが、代理でレオに入り、そのままレギュラー化)ことにより、レオの「宇宙拳法の達人」という設定にこれ以上ないほどの説得力が加わった。敵となる宇宙人(劇中では"星人"と呼ばれることが多い)も、過剰な装飾を抑えたシンプルな格闘戦重視の者たちが多く、特撮ステージの端から端まで駆けまわるスピーディかつダイナミックなアクションシーンが視聴者の注目を集めた。

そして、変身後であるレオの超絶アクションにも負けない迫力と情熱が、変身前のおおとりゲンにも求められた。そこで抜擢されたのが真夏竜である。それではこれより、真夏がいかにして『レオ』と出会い、ゲン役に挑んでいくことになったのか――というところから話を聞いていくことにしよう。

――真夏さんが『レオ』の主役に選ばれた経緯を、改めて教えていただけますでしょうか。

そのきっかけは、『レオ』の3年前にさかのぼります。横浜のナイトクラブで歌っていたとき、お客さんで真船禎監督(『レオ』第1、2話を演出)がいらっしゃったのですが、そのとき僕が「いまは歌を歌っていますが、ゆくゆくは芝居のほうをやってみたい」なんて話をしたんです。真船監督がそのときのことを覚えていて、『レオ』の主役に選んでくださったそうなんです。でも、監督とはひんぱんに連絡を取り合っていたわけでもなく、出演のお話をいただいたときも、すごい偶然が重なったんですよ。

当時は実家を離れて暮らしていたのですが、1年に1回か2回だけ、実家に帰っていました。監督から電話がかかってきたのがちょうどそのタイミングで、少し時間がズレていたらその電話も受け取れていなかったんです。後で聞いたら、3,000人くらいオーディションをやっても決まらず、真船監督が僕を推薦してくれたということでした。