ルーツは「パリダカ」にあり
1978年に始まったパリダカは、当初はタイヤのついた乗り物ならすべて出場可能という自由なカテゴリーに沿って、バイクも多数エントリーした。多くは軽い車体にシンプルな単気筒エンジンを載せた本田技研工業(ホンダ)やヤマハ発動機のオフロードバイクだったが、その中にBMWの姿があった。
伝統の水平対向2気筒エンジンの排気量は800ccで車体も大柄。砂漠を走破するラリーには向かないと考える人が多い中、健脚を披露した。すると1980年に「R80G/S」が生まれた。車名末尾の「G/S」は「ゲレンデ・シュトラッセ」の略。つまり当初から、オン・オフ両用であることをアピールしていたのだ。
するとBMWは翌年から、この「R80G/S」をベースとしたマシンでパリダカに挑戦。1985年までの5年間で4度の二輪部門優勝という偉業を達成する。これが現行「R1200GS」まで続く流れを作り出したのだった。
BMWを追ったライバル達
もちろんライバルが黙って見ているはずはない。日本勢では1988年にホンダが「アフリカツイン」、翌年にはヤマハが「スーパーテネレ」を送り出す。いずれもパリダカとつながりがあり、「アフリカツイン」は1986年から4連覇したマシンがベース。「スーパーテネレ」の技術は1990年代の7度の勝利に貢献した。
近年、このラリーの二輪部門で17連覇を達成しているオーストリアのKTMも、同じ時期に「アドベンチャー」を投入している。英国のトライアンフは、かつてのスポーツモデル「タイガー」の名前をこのカテゴリーで展開し始めた。
さらに21世紀に入ると、この分野とは無縁に思えたイタリアのドゥカティが「ムルティストラーダ」を送り出し、スズキが「Vストローム」、川崎重工業(カワサキ)が「ヴェルシス」のネーミングとともに参戦。一時は生産中止となっていた「アフリカツイン」と「スーパーテネレ」も復活を果たしている。