トリップアドバイザーは12月20日、「トリップアドバイザーの口コミによる、『西郷どん』を知る10のスポット」を発表した。同ランキングは、2018年1月からの西郷隆盛を主人公としたNHKの大河ドラマ『西郷(せご)どん』が始まるにあたって実施したもので、1位は「西郷南洲顕彰館」(鹿児島県鹿児島市)、2位は「西郷隆盛宿陣跡資料館」(宮崎県延岡市)、3位は「城山 (含: 西郷隆盛洞窟)」(鹿児島県鹿児島市)となった。

  • 1位の「西郷南洲顕彰館」(鹿児島県鹿児島市)

    1位の「西郷南洲顕彰館」(鹿児島県鹿児島市)

同ランキングは、2014年12月1日から2017年11月30日までにトリップアドバイザー上に登録された観光スポットに投稿された日本語の口コミで、「西郷隆盛」について一定数以上の言及を含むものを対象に、口コミ評価点(5点満点)や、口コミ投稿数などをもとに、独自のアルゴリズムで集計したものとなる。

1位の「西郷南洲顕彰館」(鹿児島県鹿児島市)は、西郷隆盛の生涯を丸ごと学ぶことができる専門博物館。西郷隆盛没後100年の記念事業として、全国の方々からの寄付により建立された。なお、「南洲」というのは西郷隆盛が文筆活動で使っていた名前とのこと。

一般からは、「西郷隆盛の偉業を称えた資料館です。さすがは鹿児島です。よくぞ作ってくれた、という感じで西郷隆盛関連の資料館としては、恐らく屈指のものではないかと思います。西郷ファンにはたまりません。展示内容としては、遺品はじめジオラマで西郷隆盛の生涯がわかりやすく説明されており一見の価値はあります」とコメントが寄せられている。

  • 2位の「西郷隆盛宿陣跡資料館」(宮崎県延岡市)

    2位の「西郷隆盛宿陣跡資料館」(宮崎県延岡市)

2位の「西郷隆盛宿陣跡資料館」(宮崎県延岡市)は、薩摩軍と官軍が戦った激戦「和田越の決戦」で敗北を喫した西郷隆盛軍が、宿陣をはった民家。ここで薩軍解散の命が出され、西郷隆盛は陸軍大将の軍服を焼いたと言われている。現在は資料館として整備され、隆盛愛用の遺品や戦争資料が展示されている。当時の軍議の様子を再現した部屋がある。

一般からは、「宮崎県内で唯一、西郷隆盛と西南戦争に特化した史料館です。建物そのものは、明治5年ころに建てられた民家で、昭和の終わり頃までは住宅としても使われていたそうです。熊本県田原坂での戦闘以来、敗走に次ぐ敗走で、ここ延岡までたどり着いた西郷は側近らと今後の方針についての軍議を開きます。その状況を人形で再現しており、この施設の目玉ともいえる展示ですが、人形の出来映えが良くて激論している感じが見る者にひしひしと伝わってきます」コメントされている。

  • 3位の「城山 (含: 西郷隆盛洞窟)」(鹿児島県鹿児島市、写真は城山からの眺め)

    3位の「城山 (含: 西郷隆盛洞窟)」(鹿児島県鹿児島市、写真は城山からの眺め)

  • 3位の「城山 (含: 西郷隆盛洞窟)」(鹿児島県鹿児島市、写真は西郷隆盛洞窟)

    3位の「城山 (含: 西郷隆盛洞窟)」(鹿児島県鹿児島市、写真は西郷隆盛洞窟)

3位の「城山 (含: 西郷隆盛洞窟)」(鹿児島県鹿児島市)は、市街地の中心部に位置する標高107mの小高い山。鹿児島のシンボルである桜島、錦江湾そして市街地を眺めることができる「城山展望台」がある。城山は西南戦争最後の激戦地になった場所として知られて、薩軍本営が置かれた「西南戦争薩軍本営跡」が「ドン広場」と呼ばれる広場の近くにあり、敗走した西郷軍が立てこもった「西郷隆盛洞窟」が中腹にある。

一般からは、「城山ホテルの前にある展望所が鹿児島市街の向こうに桜島が見える絶景ポイントのひとつです。山に登る中ほどより頂上寄り右側に西郷隆盛が自決した洞窟があります。見逃さないように! 」とコメントが寄せられている。

  • 4位の「維新ふるさと館」(鹿児島県鹿児島市)

    4位の「維新ふるさと館」(鹿児島県鹿児島市)

4位の「維新ふるさと館」(鹿児島県鹿児島市)は、鹿児島の歴史が一目で分かる資料館。地下1階の維新体感ホールでは、西郷隆盛や大久保利通の等身大ロボットやマルチスクリーンにより臨場感あふれるドラマが展開されている。西郷さんの軍服や大久保さんのフロックコートを実物大で試着できるコーナーも設けられているという。

  • 5位の「南洲神社 と 南洲墓地」(鹿児島県鹿児島市、写真は南洲神社)

    5位の「南洲神社 と 南洲墓地」(鹿児島県鹿児島市、写真は南洲神社)

  • 5位の「南洲神社 と 南洲墓地」(鹿児島県鹿児島市、写真は南洲墓地)

    5位の「南洲神社 と 南洲墓地」(鹿児島県鹿児島市、写真は南洲墓地)

5位の「南洲神社 と 南洲墓地」(鹿児島県鹿児島市)は、西郷南洲顕彰館から歩いてすぐの場所で、南洲墓地と南洲神社は隣り合わせになっている。南洲墓地には、西郷隆盛をはじめ、西南戦争で戦死した薩軍2千人以上の将兵が眠っている。明治12(1879)年に設けられた参拝所が、大正11(1922)年には西郷隆盛を祭る「南洲神社」となった。公園から眺める桜島は絶景とのこと。

  • 6位の「永国寺」(熊本県人吉市)

    6位の「永国寺」(熊本県人吉市)

6位の「永国寺」(熊本県人吉市)は、幽霊の掛軸があることから「幽霊寺」とも呼ばれている。西南戦争では熊本から退却した西郷隆盛率いる薩軍が本陣を構えて33日間在陣したとして知られ、境内には「西郷本営跡碑」がある。戦火で全焼した永国寺だが、明治24(1891)年に本堂が再建されたという。また、永国寺の裏手にある洞窟には薩軍が塩をはじめ多量の兵糧を洞窟億の石積む内に格納し、「西郷さんの塩蔵」と呼ばれて残っているとのこと。

  • 7位の「西郷南洲謫居跡」(鹿児島県龍郷町)

    7位の「西郷南洲謫居跡」(鹿児島県龍郷町)

7位の「西郷南洲謫居跡」(鹿児島県龍郷町)は、西郷隆盛が明治維新よりも前に藩政府から命じられて奄美大島の龍郷町というところで「菊地源吾」と改名し、潜居生活を送っていた場所。そこで3年間過ごし、地元の女性・愛加那(あいかな)を妻に迎え、一男一女をそこでもうけたと言われている。ここは実際に西郷隆盛が家族と暮らしていた場所で、西郷ゆかりの品や、勝海舟が碑文を書いた石碑などを見ることができる。

  • 8位の「西郷隆盛誕生地碑」(鹿児島県鹿児島市)

    8位の「西郷隆盛誕生地碑」(鹿児島県鹿児島市)

8位の「西郷隆盛誕生地碑」(鹿児島県鹿児島市)は、西郷隆盛が文政10(1827)年に誕生した地を今日に伝えるもの。育った家は、鹿児島城下を流れる甲突川の河畔地域にあり、敷地は明治時代より公園化され今も守られている。鹿児島市加治屋町は、西郷隆盛以外にも、大久保利通、東郷平八郎、大山 巌など多くの偉人の出身地としても知られている。

  • 9位の「西郷隆盛終焉の地」(鹿児島県鹿児島市)

    9位の「西郷隆盛終焉の地」(鹿児島県鹿児島市)

9位は「西郷隆盛終焉の地」(鹿児島県鹿児島市)。明治10(1877)年9月24日未明、城山を包囲した官軍は一斉に砲撃を開始し、西郷軍は敵陣めがけて岩崎谷を駆け下り、最後の抵抗を示した。西郷隆盛は腰と太ももに銃弾を受け、別府晋介の介錯によって最後を遂げたと言われている。介錯を行った別府晋介も自刃し、西郷の切腹を見守っていた桐野利秋、村田新八などは再び岩崎口に突撃して戦死し、西南戦争が終結した。

  • 10位の「西郷隆盛銅像」(鹿児島県鹿児島市)

    10位の「西郷隆盛銅像」(鹿児島県鹿児島市)

10位の「西郷隆盛銅像」(鹿児島県鹿児島市)は、軍服を着た迫力ある西郷隆盛像が城山を背景にして建っている。鹿児島県出身の彫刻家・安藤照による作品で、昭和12(1937)年に完成した。安藤照氏は、「忠犬ハチ公」の制作者でもある。

  • 「トリップアドバイザーの口コミによる、『西郷どん』を知る10のスポット」

    「トリップアドバイザーの口コミによる、『西郷どん』を知る10のスポット」