板野氏:『ザ・ウルトラマン』(1980年4月から放映されたアニメのウルトラマン。サンライズ製作)が始まって、肩身が狭くなっていきましたよね。
安彦氏:(『ガンダム』の)番組担当の渋江プロデューサーが現場にいないんですよ。『ザ・ウルトラマン』が始まって。あっちはTBSでゴールデン、円谷プロの関係もあって……こっちは名古屋テレビ。どう考えてもあっちが本線だよな(笑)。たまに(1スタに)来てもウルトラのことしか考えてないの(会場笑)。
板野氏:自分も(『ガンダム』終盤、安彦氏が倒れて大変な時に)ウルトラの動画やらされましたからね! ウルトラのイベントがあるんで出てくれって言われましたけど、断りました。
安彦氏:それで神田君というアシスタントプロデューサーが(『ガンダム』を)全部やってくれてたんだよね。功労者ですよ。でも彼、『ガンダム』のテレビシリーズが終わったらこんな会社にいられねえって、出て行っちゃった。今何してるんだろう? 神田君をはじめ、制作進行はみんな出て行った。何も報われてない。かわいそうなことですよ。いたたまれない。
日本のアニメ史を左右した(かもしれない)出来事
『ガンダム』放映終盤、安彦氏が倒れ、そこに『ザ・ウルトラマン』が追い打ちをかけ、スタッフが身も心もボロボロになり果てたところに、ある人物が現れる。
板野氏:安彦さんが倒れられたあと、安彦さんの席に『イデオン』のキャラ表が遅れてる(『イデオン』は1980年5月より放映)というので、湖川さん(湖川友謙氏:『宇宙戦艦ヤマト』『伝説巨神イデオン』『聖戦士ダンバイン』などの作画監督、キャラクターデザイナー)が来たんですよ。それで3日カンヅメになってその時にご縁ができたんです。
安彦氏:僕の席でやってたって、30年以上経ってから知ったよ。
板野氏:安彦さんが入院されてから、もうアニメはやめて漫画やイラストをやるんだと聞きました。次の師匠を探さないと……という時に湖川さんに声をかけていただいたんです。『イデオン』の2話を手伝ったあとに、オープニングが遅れていると聞き、助っ人としてオープニングのイデオンが地面からガーッっと出てくる原画を描いたら「板野君、こんなの誰も動画できないから動画やって」と言われました(会場爆笑)。それからビーボォーでお世話になることに。
氷川氏:それで"板野サーカス"が生まれた(板野氏が得意とする誘導ミサイルの変態的な軌道や機動メカの高速運動などを「板野サーカス」と呼ぶ。『イデオン』以後有名となる)んですね。
板野氏:感性と安彦さんの柔らかい芝居とか職人芸、天才肌のものとか、全然足下にも及ばないですけど、それと湖川さんの方程式的な、三点統一的な投射図法というか、自分が設計図面をやっていたから(学びやすかった?)……それとキャラクターの石膏デッサンくさいというかあおりの角度の、顔変になるけどリアルという、安彦さんとはちょっと方向が違いますが、相対するおふたりの良さを自分の中で消化しながら、できることはないかなと。
安彦氏:湖川君は僕の高校の2年後輩なんだけど、業界では先輩で、僕が業界に入る前からタツノコで三羽烏と呼ばれるくらいだった。
氷川氏:湖川さんは『ガンダム』もやっておられましたね。6話のガルマの回で。
安彦氏:え?(完全に初めて知った模様)
氷川氏:安彦さんの作画監督の回です。
安彦氏:……やってんの?(原画集を確認)
氷川氏:名前は出てないです。
安彦氏:そう……それはモグリなんだよ。平野君はダメなんだ(平野俊弘氏 現・平野俊貴氏:『マクロス』の作画監督、『破邪大星ダンガイオー』『冥王計画ゼオライマー』などの監督を務めた)。作打ち(作画打ち合わせ)に来ない人に仕事を回しちゃうから。今回みたいなうれしい行き違いなんかも起こるけど基本的にはダメなんだよ。いないから言うけど(笑)。何のために半日もかけて作打ちをやるんだってね。
板野氏:最初はやる気なんですよ。でも時間がなくなって、回しちゃう。
安彦氏:じゃあ作打ちやんなくてもいいじゃない。やる人は作打ちにこないと。……でも(湖川君のことは)初めて知った。今日初めて知ることがいっぱいあるな(笑)。……続きを読む