『機動戦士ガンダムUC episode 6 宇宙と地球と』Blu-rayジャケットデザイン

3月2日にイベント上映と劇場限定のBlu-ray&DVDが発売された『機動戦士ガンダムUC episode 6 宇宙と地球と』。これまでの劇場動員数を更新し、尻上がりに人気が上昇している『ガンダムUC』だが、本記事ではネタバレセーフを守りつつ、今回の『ep.6』の魅力についてお伝えしたい。

まず驚いたのが、『ep.5』の時は楽に取れた劇場初演のチケットが今回は過酷な争奪戦になったことだった。正直、筆者も今回は危ないと予想していたが、想像以上だった。普通、連作ものは回を重ねるごとに人気は減衰していく。それが逆に急上昇するのだから、いかに本作が尻上がりに面白さを増していく作品であるかが分かるはずだ。

今回は、ネェル・アーガマの艦内を舞台に、フル・フロンタルがラプラスの箱を狙う真意とミネバの考えが明らかになる。両者を軸に、バナージ・リンクス、マリーダ・クルス、スベロア・ジンネマン、アンジェロ・ザウパーといった人物の想いと行動が絡み合い、それぞれの道が定まっていく。見どころはありすぎて困るぐらいだが、個人的には「バナージの成長と存在感」を一押しとしたい。

悩めるニュータイプ、バナージ・リンクスの魅力とは

前回『ep.5』にてエコーズのダグザとガランシェール隊のギルボアの想いを胸に、サイコフレームを緑に輝かせたシーンがあり、バナージは我々がかつて見た「人の心の光」をわずかではあるが再現してみせた。ところが――フル・フロンタルは言う。「それでも人は変わらなかった」と。フロンタルが艦内放送で語った目的は極めてリアリスティックなもので、ある連邦兵などは「筋は通っている」と言うほどだった。

しかし、それをバナージは「おかしな何か」だと感じ、ミネバは人の革新を求める正当性を語り、フロンタルを否定してみせた。その場面に歴代ガンダムファンは胸を熱くしたのではないだろうか。アムロも、カミーユも、ジュドーでさえも正しく言葉にすることができなかった、人の革新を目指す意味と正しさ。それをある人は語りすぎと言うかもしれないし、非情な現実を知る大人はむしろフロンタルの目指す世界に共感を覚えるかもしれない。それもいい。バナージを悩ませている問題は、「宇宙世紀を生きてきた人類が残したとてつもなく大きな重さ」なのだ。簡単に結論が出なくて当然である。バナージは、ミネバの語った正しさを知ってなお、それが正体不明のラプラスの箱によって実現しうることなのか確信が持てず、悩む。そんなバナージに導きを与えるのは誰か? それは皆さんの目で確かめてほしい。『ep.1』から丁寧に積み重ねられてきたものが、悩める心やさしきニュータイプをしっかり育んできたことを知るはずである。背負っている巨大な重さと、それを解くための力を与えた者達の存在を知ってようやく、彼の持つ人間の本質的なやさしさとあたたかさがはっきり見えてきたのではないだろうか。

バナージの悩みは尽きない。しかし彼はすでに悩みの本質を理解し、答えを見出しつつある

仮面を取り、ラプラスの箱で何を成そうとしているかを語る。彼が目指すものとは?

彼もやはり首魁に収まっているより戦場で赤いMSを駆る時の方が楽しそうだ

ニュータイプの指導者があるべき姿を見せつつあるミネバ。ザビ家からこのような人物が現れ、シャアが彼女を大切にしたというのは興味深いことだ

ふたりの負け組、大暴れ

本筋からやや外れるが、アンジェロとリディのふたりは非常に面白く描かれている。ローゼン・ズールでの怒濤の連続撃破は、いちハンマ・ハンマファンとして心躍るものがあった。それで満足すると思いきや、生身のアンジェロはもっと荒ぶる姿を見せてくれるからたまらない。歴代ガンダム映像作品の中で、これほど無重力空間をぬるぬるとアクロバティックにむせながら戦い、逃げていった人物は後にも先にも存在しないだろう。

もうひとりの負け組、リディは人相まで変わってやさぐれモード全開。だがやさぐれた彼は強い。強化人間仕様のバンシィ・ノルンの挙動に視界が霞んでいるあたり、無理な乗りこなしでありながら驚異的な反応速度で操り、敵をねじ伏せていく姿は、バウンド・ドックであるいはそうなれたかもしれないが結局なれずに散ったジェリド・メサの幻影なのかもしれない。そういえば、彼の最初の愛機は黒いガンダムMk-IIであった。しかしアンジェロ、リディともにその荒ぶる魂を存分に解放するのは『ep.7』まで待たねばならない。タメは十二分にきいている。あとは矢を放つのみである。

今回のMS登場シーンはローゼン・ズールが主役だったと言っても過言ではない

このリディ、ティターンズの制服も似合いそうである

ガンダムに欠かせない艦内のドラマ、そして白兵戦

諸事情により近年のガンダムでは艦内白兵戦はあまり見られるものではなくなっている。そこを本作でやってくれたのである。『亡国のイージス』著者、福井晴敏の得意分野でもあっただろうか。アンジェロについても書いたが、ここは本当に繰り返し見たくなる名シーンで、声優陣も絶賛するオットー艦長の魅力とあわせてお楽しみいただきたい。続くハンガーのシーンではバナージ、フロンタル、アンジェロ、ミネバ、マリーダ、ジンネマンとそうそうたる面子が入り乱れての、通常のMS戦とはひと味違った攻防が展開される。

ここはまさに「情念の渦巻く闘技場」といった趣で、ぶつけ合う言葉の数々、表情、揺れ動く感情すべてが生々しく、シロッコに「これでは人に 品性を求めるなど絶望的だ」と言われることは確実だ。だがそれほどの感情の発露は爽快感さえ覚えるほど気持ちいい。とくに印象に残るのは、フロンタルのバナージへの感情がシャアのアムロに対するそれに近い何かであったこと。プロモーション映像にもある「私とともに来い。もう君はみんなの中には帰れない。いつか、私と同じ絶望に突き当たることになる」というフロンタルのバナージへの言葉は「器」としてではなく、人として感じる彼の「さみしさ」、もしかしたらアムロがいないこの世界に対するやり場のない喪失感から出たものであったかもしれない。

ネェル・アーガマ改の艦内でアンジェロとエコーズが邂逅。ただで済むはずがない

メビウスの輪から抜け出せない人類は、いつだって絶望と希望の狭間で揺れるゆりかごから卒業できずにいる。「だから世界に人の心の光をみせなけりゃならないんだろ」とアムロは言った。それでも人は変わらなかったとフロンタルは言う。「でも、それでも」世界を変革できないとしても、バナージとミネバはあたたかい未来を目指す。なぜならそれが人だからだ。ぬくもりのない世界で人は生きられない。バナージがこれまで触れてきたもの、ミネバがネオ・ジオンと地球で見てきたもの。それが合わさり、導き出された答えが「でも、それでも」だ。可能性の獣と呼ばれたガンダムは人類に何を見せてくれるのか。『ep.7』は来年春公開予定。それまでに『ep.1』~『ep.6』を何度も見て、決着の日に備えたいと思う。

フルアーマー・ユニコーンがゆく。そこに希望はあるか?

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