注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、ABEMA第二制作局長兼バラエティ制作部長の古賀吉彦氏だ。
『チャンスの時間』『世界の果てに、ひろゆき置いてきた』『愛のハイエナ』といった人気番組に、8月30日から『ドーピングトーキング』がスタートするなど、ラインナップを充実化させるABEMAのバラエティ。インターネットメディアとテレビクリエイターがタッグを組む強みを生かし、「“淀みなくバラエティが拡張してるね”と思われるABEMAでありたい」と将来像を語る――。
-

古賀吉彦
2010年にサイバーエージェント入社。動画配信サービス「Ameba Studio」サービスの立ち上げを行い、14年に「Ameba芸能人ブログ」責任者に。17年、AbemaTV(現・ABEMA)開局から制作局でオリジナル番組を立ち上げ、『○○に勝ったら1000万円』シリーズや『GENERATIONS高校TV』などをプロデュース。現在は第二制作局長兼バラエティ部長として、『チャンスの時間』『世界の果てに、ひろゆき置いてきた』『愛のハイエナ』などを管轄する。
「ADからでも何でもいいのでやりたいです!」と異動志願
――当連載に前回登場したいまじんの中山準士社長が、古賀さんについて「『1000万円』シリーズ、『72時間ホンネテレビ』、恋愛リアリティーショーの『オオカミには騙されない』シリーズと、ワクワクするコンテンツを手がけていてすごいなと思います。我々の業界では、よく最初の会議だけ“威勢よくかます人”がいるんですが(笑)、そういうものが全くなく自然体で、これからのエンタメ業界に必要な“華”のある人だと思います」とおっしゃっていました。
中山さんにそう言われたら、恐縮すぎます(笑)。中山さんは、ザ・テレビの本当に足腰の強いリーダーですね。めちゃくちゃ頼りになる兄貴という感じです。ABEMAというメディア自体が若いですし、僕自身も今年38歳なので、テレビ業界の皆さんからしたら若いと思うのですが、そこに対してのマウントも全くなく、リスペクトを込めてくれて、本当に兄貴のような感覚で接することができる。懐の深い先輩だと思っています。
――中山さんとの出会いはいつになるのでしょうか。
お会いしてからは5~6年ですが、いまじんさんと番組の取引はずっとあって、出向者の方をお預かりさせていただいているんです。中山さんがすごく大切にしている愛弟子とも言える部下の方を、うちのプロデューサーとして迎えていて、『シャッフルアイランド』シリーズの作井(正浩)もその一人です。
――ほかにも制作会社から出向されている方はいらっしゃるのですか?
何人かいます。テレビ番組に携わる演出家、プロデューサーレベルの方で、将来その会社の経営者になりそうな方を選出いただいて、現役のテレビマンのスキルをうちで発揮いただく代わりに、ネット媒体のノウハウを学んでいただくという、お互いにとってメリットのある形をとらせてもらっています。
――古賀さんはABEMAに立ち上げからいらっしゃるんですよね。
ABEMAの前からさかのぼると、サイバーエージェントに新卒で入社して「Ameba芸能人ブログ」を立ち上げる部署に配属されました。芸能事務所の向き合いを唯一やっているような部署だったのですが、そこから発展して「アメーバスタジオ」というブロガーが出る配信スタジオの運営責任者を担当し、エンタメと動画配信の領域に強くなっていきました。僕は就職活動でテレビ局に入りたくて入れなかった人間だったので、すごくテレビに憧れがありました。そのため、ABEMA(当時、AbemaTV)が開局するとなったときに、当然「ADからでも何でもいいのでやりたいです!」と言って異動しました。
――テレビ局をゼロから立ち上げるという経験は、むしろ既存のテレビ局に入っていたらできない貴重な経験だと思います。
そうですね。当初はインタラクティブ性を打ち出していたので、毎日ずっと無我夢中で生放送をやっていました。番組の中身や規模はさておき、テレビの皆さんが口をそろえて言われるのは、「生放送は制作者を鍛える」ということ。緊張感と解放感が瞬間的に何度も訪れるので、立ち上げ期に生放送をたくさん担当して、当然トラブルもたくさんありましたが、うまくいって成功の味わいも感じられたりして、今思うとすごくありがたい環境だったと思います。
「数字で番組を科学する」ことに徹して番組制作に貢献
――メディアとして走り出して、最初のターニングポイントとなった番組は何ですか?
個人の気持ちも混ぜてしまうのですが、『亀田興毅に勝ったら1000万円』(※)です。企画が立ち上がったのはABEMAが開局して1年目の後半くらいの頃で、当時29歳の僕は「30歳までに絶対当てたい!」と勝手な思いがあったのですが、インターネットメディアのプロデュースには自信があるものの、“テレビマン”とはまだ言えない頃でした。
そんな時、テレビ朝日から出向している片野(正大)さんが、ある日『亀田興毅に勝ったら1000万円』という企画を(藤田晋)社長に提案して、「なんて最高の企画なんだ!」と感動したのを覚えています。その日から、「僕が一緒にやります!」と、片野さんの席の前に座って、片野さんがいわゆる通常の制作プロデューサー、僕がビジネスプロデューサーとしてコンビを組ませてもらいました。
それから半年くらいかけて亀田さんの元に通い詰めて、何とか口説いて実現にこぎつけ、最終的に試合の時はセコンドまでやらせてもらって(笑)。たまたま年齢も亀田さんが1個上で個人的にも仲良くしてもらって、その時の彼の人生を幸いにも背負わせてもらい、まさに一緒にリングに上がったぐらいの気持ちでした。地元の九州の友達から「あれ見たよ!」と初めて言われた番組です。
(※)…元プロボクサーの亀田興毅が一夜限りでリングに復活し、賞金1000万円をかけて名乗り出た一般応募者4人と対戦する番組。
――ABEMAというメディアが世の中にインパクトを与えた番組でしたよね。片野さんには師匠のように番組作りのノウハウを教えてもらった感じでしょうか。
まさにその通りです。我々はテレビのいろはを知らないけれども「新しい未来のテレビ」というメディアを作ることになった中で毎日教えてもらいましたし、叱咤激励も頂きながらそこに食らいつくことで実現できるものもありました。
一方で、僕らの持っているインターネットマーケティングのノウハウを、テレビクリエイターの皆さんは使っていなかった。そこで、「数字で番組を科学する」ということが、クリエイターの皆さんへ貢献できる部分だということが分かり、僕は偉そうに企画のことについて意見するのではなくて、データや事実を集めて「こうやったら当たると思います」と数字上の戦略をとにかくアウトプットすることに徹しました。
――「数字で番組を科学する」というのは、どのようなことを行っているのですか?
ABEMAは配信形態の特性上、視聴に関するデータを細かく分解できるので、それをクリエイターの皆さんにフィードバックしているんです。ABEMAの番組制作チームには、プロジェクトマネージャーという職種があって、番組が視聴されるまでの数字責任を負っています。番組制作の責任を負うクリエイターとプロジェクトマネージャーがセットで動くことで、おもしろい番組を広く届ける、ということを意識しています。
――インターネットとテレビのノウハウを融合させるというのは、ABEMAの理想形が実現したという感じですね。
そうですね。このやり方を元に、チームのフォーメーションを組んでいったところがあります。
――ほかにも、「師匠」と呼べる存在の方はいらっしゃいますか?
師匠と呼ぶのも恐縮なんですが、鈴木おさむさんはすべてを教えてくれたような方です。『72時間ホンネテレビ』や『GENERATIONS高校TV』、田中圭さん、松本まりかさん、GENERATIONSさんが冠となった『24時間テレビ』にとどまらず、ドラマも含めて、僕だけじゃなくてABEMAそのものに対しての師匠という感じです。
実は、僕の結婚式で数原(龍友)さんが、おさむさんが脚本を書いた『離婚しない男』の挿入歌でもある「最後の雨」を歌ってくれた直後に、おさむさんが「あなたは離婚しない男になってください。おあとがよろしいようで」とスピーチしてくださったんです (笑)。もう作家業は引退したとおっしゃっていますが、またテレビ朝日で『奪い愛、真夏』もやっているので、ふらっとABEMAの番組にも関わってくださらないかなと期待しています。
