注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、テレビ朝日系バラエティ番組『ロンドンハーツ』『アメトーーク!』や、テレビ東京日曜深夜の坂道アイドル3グループ冠番組『乃木坂工事中』『そこ曲がったら、櫻坂?』『日向坂で会いましょう』などを手がける放送作家の町田裕章氏だ。
駆け出しの頃から変わらないスタッフたちと一緒に番組を作り続ける喜びを感じながら、アイドルバラエティでも「緩い企画を出すことはないです」と、芸人中心の番組と変わらぬ姿勢で臨んでいるという同氏。高いポテンシャルを発揮する坂道メンバー有望株のほか、ナインティナインとの縁やテレビへの期待に至るまで、話を聞いた――。
『ロンハー』で経験した番組のターニングポイント
――当連載に前回登場したテレビ朝日の小山テリハさんが、町田さんについて、「「すごい上のベテラン作家さんなのに、私の番組に最初の特番からずっと入ってくださって、番組の成立のところまで面倒を見てくれる目線を持ってくれるので、すごくありがたいです」とおっしゃっていました。
すごい上ですか(笑)。こちらからはすごい下とは思ってないですよ。仕事相手のキャリアや年齢で仕事内容や態度が変わることはないですし、今は若いディレクターと組むことも多いんですが、求められればネタ出しも台本書きも成立まで面倒見ることも何でもやりますよ。
――テリハさんとの出会いは『アメトーーク!』ですか?
そうですね。小山さんは、コンテンツへの愛情が深い人という印象ですかね。好きな漫画やアニメに対してもそうですし、自分の番組や出ている演者さんに対する愛情が非常に深いと感じます。小山さんに番組を担当してもらえる演者さんは幸せだと思いますよ。
――この連載では放送作家さんも多数登場いただいていて、皆さんその仕事に就いた経緯がバラバラなのですが、町田さんの場合はどのようになられたのですか?
これ、聞かれるといつも困るんですけど…「何となく」としか言いようがなくて。テレビ朝日でリサーチのアルバイトをしていて、周りの大人たちについて行ったら、いつの間にか作家になってました。
昔のテレビ業界って良くも悪くもいい加減というか得体の知れない職種の人たちがたくさんいたんですよ。この連載にも出られた燃え殻さんの『ボクたちはみんな大人になれなかった』でも描かれていた当時のテレビ業界の雑多な空気感は同世代だしすごく共感できます。その後、いつの間にかいなくなった人も大勢いましたが、僕の場合は最初に出会った業界人が加地(倫三)さんや朝倉(健)さんという後の『ロンハー(ロンドンハーツ)』の演出の方々という運の良さがあったんです。
――そうした中で、作家として最初に「構成」としてクレジットされた番組は何ですか?
テレ朝の深夜でやってた『ナイナイナ』だと思います。ナインティナインさんの。この番組を加地さんたちがやられていて。だから当時から今までずっと加地さんと仕事してるということなんですよね。要は、僕は20代の頃に出会った人たちに恵まれていたので今も作家をやっているんだと思います。
――本当に人と人とのつながりなんですね。
今テレ東でやっている坂道3番組(『乃木坂工事中』『そこ曲がったら、櫻坂?』『日向坂で会いましょう』)もそうですね。(制作会社の)ケイマックスの工藤(浩之)さんや長尾(真)さんとも僕が20代の頃に出会っていますし、当時から変わらない関係性で今もワイワイ言いながら番組を作ってる感じですね(笑)
――それって、めちゃくちゃ幸せなことですよね。
そうなんです。だから本当に運が良かったとしか言いようがないですね。
――ご自身の初めて通った企画は覚えてらっしゃいますか?
もう何十年も前なので本当に覚えてなくて…。かなり初期だと思うのが、『リングの魂』(テレビ朝日)という番組の「かけられず嫌い王」という企画。リアクション芸人としてプロレスラーに技をかけられるのはオイシい。けど中には本当に痛くて実はオイシくない技もあるはずということで、プロレスラーに技をかけられて芸人同士が本当は嫌いな技を当て合うという「食わず嫌い王」(『とんねるずのみなさんのおかげです/した』)のパロディです。時代を感じますね(笑)
――それからキャリアを重ねていく中で、特に印象深い番組を挙げるとすると何でしょうか。
『VS嵐』(フジテレビ)と『ロンドンハーツ』ですかね。特に『ロンハー』は新人の頃から今も続いていますから番組とともに自分の放送作家人生もある感じです。もし終わることがあったら喪失感がハンパないでしょうね。
――長く続く番組だけに、いくつかターニングポイントもありますよね。
一番大きかったのは「格付け(しあう女たち)」が生まれた時だと思います。それまでの素人を扱った企画が思うように数字が上がらず、「格付け」のヒットから芸能人中心の企画へとシフトチェンジしていきました。多くの番組は一度数字が取れなくなると右肩下がりに終了へと向かっていくんですけど、『ロンハー』はV字回復した珍しいケースだと思います。中にいる人間としては学びが多かったです。
忘れられない伝説の先輩「毎回秀逸でした」
――作家における師匠という存在の方はいらっしゃるのですか?
師匠ではないですが一時期お世話になったのは、おちまさとさんですね。その『リングの魂』で出会って、そこから『仕立屋工場』『百萬男』(フジテレビ)とか、おちまさとプロデュース的な番組のお手伝いをさせてもらいました。
おちさんの印象は、テレビ業界の中だけにいない人というか、テレビ以外で流行っているカルチャーであるとか社会的な出来事をテレビの企画に落とし込むことが上手くって、そういう企画立案は憧れましたね。
――放送作家という仕事を誰かに直接的に教わったということではないんですね。
そうですね。諸先輩方の背中を見て学ばせてもらったという感じですね。だって、若手の頃から高須(光聖)さん、そーたにさん、中野(俊成)さんという超一流の作家さんたちとの会議に出ていて、その方々の仕事ぶりを間近で見てるわけですから、そりゃ勉強になりますよ。振り落とされないように必死でついて行ったら勝手に成長していたみたいな感じです。
その中でも忘れられないのが、『くりぃむナントカ』『シルシルミシル』(テレビ朝日)でご一緒させてもらった渡辺真也さん(2015年死去)ですね。放送作家はなんだかんだ言っても面白いネタを会議で出してくる人がリスペクトされるんですが、渡辺さんのネタは毎回秀逸でした。
渡辺さんのネタは、「発想の出元が分からないこと」と「ギリギリ成立していること」がすごいなと思っていて。テレビって制約も多くて実現できないことも多々ある中で、突飛なネタなんだけどギリギリ成立しているというラインが上手かったですね。僕は今でも、こんな宿題の時に渡辺さんだったらどんなネタを出してくるだろうと想像したりします。遠く及びませんが(笑)
――まさに背中を見て育ったという感じなんですね。
この連載で藤井(智久プロデューサー)さんもお話しされていましたが、当時の仲間たちの中で渡辺真也さんの存在は今でも大きいですね。
――テレビを教えてもらった人というのは、やはり加地さんになるのですか?
それはそうでしょうね。具体的な仕事内容を教わったというよりかは、演者さんに対するリスペクト精神とかイズム的なものですよね。
――加地さんのすごさというのを一つ挙げるとすると、どんなところでしょうか。
一つって難しいですけど…今やすごく偉い立場(テレビ朝日役員待遇)のはずなのに、いまだに毎回の企画の展開案や細かなトークのオチまで考えたりしていて。と同時に番組の進むべき方向性とかテレビ界全体の話とかもされて、ミクロとマクロを同時に考えられる能力がすごいなと思います。
――それはテレ朝の役員になる前から。
そうですね。失礼かもしれませんが昔から印象がほとんど変わらないし、言ってることもやってることもブレてないですよね。役職が変わると急に偉そうになる人もいますけど、そういうのが全くないですね。