注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、劇団「ヨーロッパ企画」代表の上田誠氏だ。

劇団の活動だけでなく、近年では『魔法のリノベ』(カンテレ)などテレビドラマの脚本も手がける上田氏。演劇と違い、マスに向けたテレビというメディアに、どのような意識で臨んでいるのか。さらに、原案・脚本を担当する映画『リバー、流れないでよ』(公開中)で感じた“信頼関係”の果てにある景色とは――。

  • ヨーロッパ企画の上田誠氏

    上田誠
    1979年生まれ、京都府出身。同志社大学在学中の98年にヨーロッパ企画の前身の劇団を立ち上げ、以来すべての本公演の脚本・演出を担当。外部の舞台や、映画・ドラマの脚本、テレビやラジオの企画構成も手がける。03年以降、OMS戯曲賞で『冬のユリゲラー』『囲むフォーメーション』『平凡なウェーイ』『Windows5000』がそれぞれ最終候補に。10年に構成・脚本で参加したテレビアニメ『四畳半神話大系』が、第14回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門で大賞を受賞。大喜利イベント「ダイナマイト関西2010 third」で優勝。「企画ナイト」ほか、イベントへの出演も数多い。12年のドラマ『ドラゴン青年団』では、シリーズ脚本と一部監督も手がけ、17年に『来てけつかるべき新世界』で第61回岸田國士戯曲賞を受賞。近年は、ドラマ『魔法のリノベ』で脚本、映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』で日本語吹替版脚本を担当。現在公開中の映画『リバー、流れないでよ』では原案・脚本を務める。

■テレビ進出初期の悩みは…

――当連載に前回登場したオークラさんが、上田さんについて、「劇団での自由なノリのままテレビでもやっている印象で、自分のやりたいことに実直な感じが好きですね」とおっしゃっていました。

そういうことがかなう現場でお仕事できるように、持っていっているようなところはありますね。

――オークラさんとお仕事をされたことはあるのですか?

数カ月前にニッポン放送の廊下でお会いしたのが初めてで、ご一緒したことはなかったんです。東京03さんとか、おぎやはぎさんとかとお仕事をするたび、やはりオークラさんとずっとお付き合いされてきているので、その方々を通じて存在を感じていました。

――上田さんは劇団の活動から、どのような形でテレビのお仕事もするようになったのですか?

最初は関西のバラエティ番組などに(構成)作家として呼んでいただくようになったんです。バラエティには専門の作家さんがいて基本的に入る余地はないんですけど、ヨーロッパ企画を見てくださっているテレビ局の方々に見いだされて、ドラマの要素も含んだちょっと変わった企画に呼んでもらうようになりました。

――それから、本格的にテレビドラマの脚本も担当されるようになりました。

だんだん関東でも呼んでもらえるようになって。僕は脚本家として、劇団の役者も俳優として誘ってもらえるようになっていったんですけど、やっぱり劇団として作るものをそのままテレビでやれるのが理想だったんです。だけどテレビってわりとセクションで分かれているんで、バラエティの企画で呼ばれるとその中でドラマ的なことをやるのはなかなか難しいし、逆にドラマで呼ばれたらお笑い的なことができなくなるし、劇団を紹介するドキュメンタリー企画に呼ばれてもそれは作品を見せることとは違うから、テレビでは部分部分でしかできないなと悩んでいたのが、初期の頃でしたね。

■「苦しい状況の中で解を出す」面白さ

――「劇団として作るものをそのまま」という理想がかなった作品は何ですか?

『ヨーロッパ企画の26世紀フォックス』(14年)というのをフジテレビでやらせてもらったんです。上野樹里さんをお迎えして、実験的な映像作品を撮って、それを作った制作会社のシチュエーションコメディをやるという番組だったんですけど、それがキー局で一番最初にやらせてもらった劇団らしい番組ですね。そこから「番組募集」という形で声がかかるようになってきて、自分たちで企画を作って劇団の役者が出演もして、という形が増えていきました。

――なかなかテレビでパッケージのように制作に携われる劇団は当時なかったですよね。とは言え、テレビというマス向けのメディアでは、演劇の世界とは作り方もだいぶ違うのではないかと思います。

演劇はニッチだけどそれを好きな熱狂的な人が集まるという場所であるのに対して、テレビは特に時間帯が上がれば上がるほど広く楽しんでもらえるものを作らなきゃいけない。でも、僕らはそもそもマイナーから始まっているから、地元の局なら低予算で番組を作らせてもらえるんじゃないかと思って、KBS京都さんに持ちかけて始まったのが『ヨーロッパ企画の暗い旅』(2011年~)です。そこから局や時間帯によって自分たちがやりやすい場所を探してやっていくという戦い方に変わっていきました。

――フジテレビの深夜で、実験的な作品に精力的に取り組んでいる印象がありますが、そういうものづくりがやりやすい局なのでしょうか?

そうですね。フジテレビさんとは相性がいいというか、自分たちのような面白さを理解してくださる風土があるような気がします。でも、番組が成立する過程って一通りじゃなくて、「たまたま枠が空いたからお願いします」ということもあれば、「ここで情報番組を作らなきゃいけないけれど、これさえクリアすれば何やってもいいです」「予算は非常にないけれど、何かやって良さそうです」「主役はこのタレントさんで決まってますが、あとは楽しいことやりましょう」とか、いろんな依頼が来るんです。僕らのやり方に共感してくださる方は、「これができればこの枠、行けそうです」みたいな感じで投げてくださるから、何もないまっさらな状態から番組を考えましょうということがあんまりなくて、隙間狙いですね。

――制約の中でいかに面白いものを作るかというところで、燃えるんですね。

整合性を合わせて、苦しい状況の中で何か解を出すというところだけは、ちょっと天才的なところがあるかもしれないです(笑)。その代わり自由演技はめっちゃ苦手なんで、そこが悩みですね。