――今後こういう作品を作ってみたいという構想はありますか?

僕はもう決まっています。最終的には映画を撮りたい人なんです。自分がやってきた画の撮り方も世界観もあるので、映画を撮っていきたいなと思います。もう何本か撮ってるんですけど、一発も当てたことがなくて、その間に『元気が出るテレビ』から一緒にやってた内田(英治)っていう同志が『全裸監督』で当てたのがすごく刺激になって、俺もやっぱ映画やらなきゃダメだなっていう気持ちがありますね。

あとは、山形県のために何かやってあげたいなっていうのはありますね。若いときは感じなかったですけど、こう思うようになったのは40代くらいからですかね。やっぱりエネルギーをもらって育ったというベースがあるので、何か地元に還元したいというのは、最後の使命かなと思ってます。チンピラみたいなディレクターですけど、最終的に故郷に還元したって言われれば、プラマイゼロじゃないですか(笑)

――Ku-Wa de MOMPEで山形県知事に表敬訪問されていましたが、すでに還元しつつあるのでは?

あれは俺1人の力じゃなくて、タカさんが「マッコイのために」とやってくれたと思ってるので。そんな人を一生裏切れないですし、これからも偉大な先輩、兄貴として、自分がやれることは全部タカさんにやろうと思いますね。

――YouTubeやサブスクの動画配信が盛り上がってきている中で、マッコイさんも今ネット配信番組のお仕事が多いですが、テレビの役割というのはどのように考えていますか?

テレビはもっと頑張らないといけないんじゃないですかね。 僕らは局員じゃないし、テレビ局を守るというポジションにいないので、面白いことができれば今でもテレビに行きたいですけど、全員がもっと危機感を持って、堂々とバラエティを作ってほしいなと思いますね。ディレクターたちの視野がどんどん狭くされてしまっているので、ノビノビとバラエティを作らせてあげてほしい。

そのためには、制作者たちが声を出さないとダメだと思います。1つや2つのクレームで「この企画やめよう」ってなるんじゃなくて、「もっと視野を広げていいだろう。コンプライアンス、コンプライアンスってなんだよ!」って言って本当に戦っていかないと。僕はバラエティに育ててもらったんで、やっぱり死ぬまでバラエティが元気であってほしいなと思うんです。

「バラエティはこんな感じでいいんだ」じゃなくて、「こんなもんじゃない」っていう作りにしていかないと、テレビに夢がなくなっちゃいますよね。僕らのときは、とんねるずさんや(ビート)たけしさん、タモリさんとか、ああいう人たちと会って仕事ができるっていう“夢の国”で、しかも学校でやってたバカみたいな悪ふざけが評価される世界で、すごく楽しかったんですよ。それが30代後半から40代になると、「そういうことはやめなさい」という見えない力が出てきて、頭をずっとつかまれてるような感じがして気持ち悪かったんです。

「おまえに言われなくても分かってるわ」っていう人もいっぱいいると思うんですけど、だったら声を上げてほしい。自分たちのバラエティの質を守るために、各局のバラエティのディレクターたちが集まって組合を作るとかして、日本の伝統としてバラエティを守っていこうという協定みたいなものが必要じゃないですかね。

――『みなさん』の最終回で、とんねるずさんが「情けねえ」の歌詞を替えて「バラエティを 滅ぼすなよ」と歌って熱くなったのを思い出しました。一方で、最近は視聴率指標を見直して、フジテレビが「キー特性」、日本テレビが「コアターゲット」と、13~49歳を主要ターゲットに番組作りを行う方針を打ち出していて、お笑い番組の企画が通りやすくなったという話も聞きます。

企業は若い子たちに宣伝したいわけだし、じゃあ若い子たちはどこにいるんだってなったら、もうこの身近なスマホというメディアに集中してるので、そこに予算を投下しますよね。その若い子たちを今一生懸命取り戻そうとしてるんですけど、だったらなんで、コア層がめちゃくちゃ見ていた『みなさん』と『めちゃイケ』を終わらせたんだっていう話なんですよ。

――あと2年、気づくのが早ければ…

あの頃は世帯(視聴率)で見てましたからね。今から巻き返してバラエティを作っても、元に戻るにはあと数年はかかるでしょう。そのときは僕も50代後半ですから、もう自分の好きなことしかやらないです(笑)。でも、テレビが「力を貸してくれ」と言うんであれば、テレビに恩がありますからいくらでも行きますけど、僕を使って演出をっていうテレビ局なんかもうないんじゃないですか?(笑)

――いやいや、『貴ちゃんねるず』でこれだけ話題になって、注目している人は多いと思います。では、ご自身が影響を受けた番組を挙げるとすると、何ですか?

『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)です。もうそれ以外にないです。ずっと見てましたし、スタッフとしても入りましたからね。僕は小さい頃から見てたたけしさんに憧れて東京に来て、たけしさんの入れ墨だったら入れてもいいと思うくらいの人間なんで(笑)。映画を撮りたいっていうのも、そこからなんですよ。

――がっつり一緒にお仕事されたことは?

ないんです。たけしさんは常に憧れの人で、たけしさんがいるから頑張れるというのがあるので、いつか認めてもらいたいですし、一緒に仕事するのは夢ですね。地位も名誉もあるのに、僕のやったロケにゲストで来てくれて、熱湯風呂ですっぽんぽんになって走り回って、そのままガウンを着て帰るのを見て、「いやぁなんてカッコいい人なんだ」と思いましたよね。

――いろいろお話を聞かせていただき、ありがとうございました。最後に、気になっている“テレビ屋”をお伺いしたいのですが…

作家の石原健次ですね。同い年で、作家になりたてときに、一緒に『すれすれガレッジセール』(TBS)って深夜番組やってて。僕は今YouTuberになってますけど、石原は相変わらずテレビいっぱいやっててうらやましいです。『すれすれガレッジセール』なんて5,000円くらいでやってたのに、今1本50万くらいでやってるでしょ?って、言っといてください(笑)

  • 次回の“テレビ屋”は…
  • 放送作家・石原健次氏