北海道新幹線の開業が2016年3月16日に決まった。東京駅から新函館北斗駅まで約4時間で結ばれる。これは楽しみだけど、一方で夜行列車の急行「はまなす」・寝台特急「カシオペア」、昼間の特急「スーパー白鳥」「白鳥」が運転取りやめとなる。列車で青函トンネルを通る旅をした人には寂しいニュースだ。「スーパー白鳥」「白鳥」はすでに廃止された青函トンネル内の竜飛海底駅・吉岡海底駅の見学コースの指定列車でもあった。

485系3000番台で運行された特急「白鳥」。789系の特急「スーパー白鳥」とともに運転取りやめが決まった(写真はイメージ)

「スーパー白鳥」の列車名は2002年から始まった。東北新幹線盛岡~八戸間の開業をきっかけに、八戸~函館間を最速で結んだ。それまで盛岡~函館間を結んだ新幹線接続列車「スーパーはつかり」の後継列車だ。「スーパー白鳥」と同時に「白鳥」も運行を開始した。「スーパー白鳥」と「白鳥」の違いは使用する車両だ。「スーパー白鳥」はJR北海道の特急形電車789系、「白鳥」は国鉄時代のベストセラー電車485系をリニューアルした3000番台が使用された。

「白鳥」の列車名の歴史は長い。『国鉄・JR列車名大事典』(寺本光照著)によると、初登場は1960年12月、奥羽本線秋田駅と八戸線鮫駅を結ぶ準急列車だったという。青森駅・八戸駅にとどまらず、八戸線鮫駅まで到達したところが興味深い。当時の時刻表を参照すると、鮫行は秋田駅7時27分発、青森駅10時57分発、尻内(現・八戸)駅12時41分着、鮫駅13時着。秋田行は鮫駅15時40分発、尻内駅16時1分発、青森駅17時40分着、秋田駅21時5分着。青森県を横断するビジネス用途の列車だったらしい。鮫駅は八戸線の主要駅で、現在も八戸~鮫間の列車は多い。

この準急「白鳥」は、運行開始から1年も経たない1961年9月に「岩木」に改名されてしまった。運行区間も秋田~青森間に短縮された。同年10月から大阪~青森間を結ぶ特急列車の列車名に「白鳥」が採用されたからだ。以来、「白鳥」は長らく日本海縦貫特急として親しまれた。

特急「白鳥」に使われた車両は、当時の最新型車両キハ82系だった。前身のキハ81系の先頭車はボンネットタイプだったけれど、キハ82系は先頭車に貫通扉が付き、列車の併結・分割に対応していた。そこで、「白鳥」は大阪~青森間の編成の他に、大阪~上野間の編成も併結した。つまり、特急「白鳥」は大阪~青森・上野間を結ぶ列車として誕生したわけだ。2つの列車の分割・併結は直江津駅で行われた。青森編成・上野編成ともに食堂車と1等車を含んだ6両編成だったから、大阪~直江津間は食堂車2両・1等車2両を連ねた豪華列車だったといえる。

電子書籍で購入した時刻表復刻版1961年10月号によると、当時の「白鳥」の運行時刻は、青森・上野行が大阪駅8時5分発、直江津駅15時6分着、ここで分割され、青森駅到着は23時50分、上野駅到着は20時35分だったという。大阪行は青森駅5時20分発・上野駅8時50分発で、直江津駅を14時6分に発車し、大阪駅到着は21時12分だった。青森駅発車は早朝、青森駅到着は深夜だ。これは青函連絡船への接続を考慮した時刻だった。時刻表の欄外には、「特急白鳥から函館発特急おおぞらに乗り継がれる方には通しの特急券を発売します」とある。

「白鳥」の大阪~上野間の編成は1965年に運行終了となった。同時期、東海道本線では電車特急「こだま」が走っていて、所要時間は6時間50分だった。一方、「白鳥」は北陸本線経由で12時間以上かかった。だからもともと「白鳥」の大阪~上野間を通しで乗る客は少なかっただろう。大阪~上野間編成は分離され、上野~金沢間の特急「はくたか」となった。現在の北陸新幹線「はくたか」のルーツというわけだ。

「白鳥」の変遷

一方、大阪~青森間「白鳥」は1972年から特急形電車485系が使用された。長らく最長距離電車特急として日本海縦貫線に君臨したけれど、2001年に廃止。運行区間は分割され、大阪~金沢・富山間は「雷鳥」、金沢~新潟間は「北越」、新潟~青森間は「いなほ」に組み込まれた。それから1年のブランクを経て、青函連絡特急として再登場となった。

特急「白鳥」が上野駅を発着した期間は、1961年から1965年までの4年間だった。列車名の「白鳥」は1960年12月から2016年3月まで、約55年間の歴史となる。北陸新幹線が計画通りに大阪まで達したとき、東京~新大阪間の北陸新幹線列車が設定されるなら、「白鳥」の復活がふさわしいかもしれない。