突然だが、最近鉄道に乗って旅をしていてよく見かけるのがコロコロ旅行かばん。コロコロとは何か。それは「ちょっと大きめのキャスター付き」旅行カバンのことである。スーツケースでは、ない。海外旅行に持っていく人も多いだろうが、スーパーに行くとおばちゃんが買い物用カバンとして使っていたりするコロコロ。ところがどっこい、近年、女子たちは国内の移動カバンとしてこれを多用するのである。カバンもおしゃれになってきていて、どこでもコロコロ、電車でもコロコロ、新幹線でもコロコロ。コロコロ、コロコロ大移動。ここ、米沢駅でも、あのレトロなキハ52から降りた娘っこたちが、コロコロ、コロコロ、カバンを引いていく。そして、山形新幹線に乗り替えて東京さ行くのである。キハ52と山形新幹線、そしてコロコロかばん、と。平成20年の夏はこうして終わったのである。

キハが米沢駅を発車する

田園地帯をキハ52+47は行く

坂町行きの2両編成ディーゼルカーは、いわゆる新潟色という塗装。前から見ると青いネコのようだ。キハ52+キハ47という編成で、廃止されることが噂されるキハ52には平日というのに数名の鉄ちゃんたちが陣取る。そこで私はキハ47に乗り、窓をあけてひとりボックス席に座った。斜め前の座席には、"青春18きっぷで旅行"的な若いカップルがいる。後ろには、体格のいいおっちゃんが座って、携帯電話をかけている。「新潟ついたら、連絡するから。あれ手配しとけ」と大きな声で喋っている。あれ、って何だろう……と気になる。

キハ52。青い横線がかわいい

ディーゼルカーは定刻通り、12時16分に出発した。大学がある南米沢駅を過ぎて、田園風景を楽しみながらふと、思い出す。戦後すぐ私の父親はこの町であの大学に通っていたということを。父はここで何を考え、何ををしていたのか。もっと早く来ればよかったな、とも思いながら、あの人が亡くなってからすでに25年が経ってしまった。

米沢は近いけど、遠い。親しみを感じるのは、父の通っていた大学があるというだけではなく、母方の家も米沢にあったという点が理由かと。米沢から出てきて、東京で官職を得て、226事件で職を辞した祖父は、ここでどう暮らしていたのか。自分の根源のような親しみがある土地。だが、遠い土地。そんな複雑な心境の中、キハはモクモクと走っていく。

窓を開けて稲穂の匂いを楽しむ

あっという間に西米沢駅だ。蒸気機関車時代の低いプラットホームが朽ちている。窓を完全に閉めるとムシムシするので、少しだけ窓を開ける。米の稲穂の匂いが窓から入ってきて、稲穂の匂いを楽しむ。このあたりの線路沿いには、アオサギが多い。関東のアオサギと比べてふくよかなのは、食べ物が豊富なせいなのだろうか。……米沢駅を出て30分後の12時46分に、今泉駅に到着。ここで、荒砥行きの山形鉄道の列車が待っている。近代的な1両編成のディーゼルカーだ。米坂線の車掌がおり、乗り換えの切符を確かめていた。

西米沢駅には、蒸気機関車時代のホームの残骸が

広い構内の今泉駅。山形鉄道から乗り換えである

坂町には古びた転車台が

13時42分に、新潟と県境の駅である小国(おぐに)駅に到着。ここで7分停まる。改札口を出て駅舎を見ると、赤い屋根に白い壁というなんともかわいらしい外観。カメラをかかえた鉄ちゃんたちのシャッター音が響く。最近の米坂ブームに、車掌さんは「またか」と少々呆れ顔のよう。再び乗車すると、列車は山間を走っていく。次の越後金丸(えちごかねまる)駅でも4分停車。ここで米沢行きの2両編成と待ち合わせをするのだ。こういうのんびりした旅がローカル線の楽しみ。……終点の坂町駅に到着したのは14時31分。2時間余りの旅が終わった。

小国駅。赤の屋根が目印

越後金丸駅にて。米沢方面行きの列車が到着する

ちなみに坂町は、もともと機関区があった町である。米沢にも機関区があり、米沢発青森方面行きの鈍行が出ていたのだが、両方とももはや機関区はない。しかし坂町駅には、いまだ、蒸気機関車時代の転車台と給水塔、そして扇形の機関庫の一部が残されている。私は知らなかったのだが、JR東日本で活躍するD51-495が現役時代最後に配属されていたのが、この坂町機関区であったそうな。

坂町駅には、転車台や給水塔が残っている

坂町駅の改札口を出ると旅館があったのだが、食べ物屋は開いていない。ちょっと歩くと、坂町タクシーの建物と風合いがある社宅が目に入ってきた。駅前には手持ち無沙汰の男子高校生が駅前の階段に座っている。仕方がないので、駅前のコンビニらしき店に入り、ピーナツバターを塗ったコッペパンと、あんぱんと、お茶を購入。

私の旅はまだまだ続く。「次はどこの町に行こうかな」と思っていたら、先ほどのカップルが羽越線に乗って秋田方面に行くのが見えた。