お茶の間に彗星のごとく現れ、そして風のように消えた「ジョイマン」。今もコツコツと笑いの世界で生きているジョイマンの高木晋哉が、日々の出来事を徒然なるままに語り、「あー人生つまんない」と思っているアナタにふっと生暖かい風を吹かせてくれる。


  • ジョイマン高木

    絵:高木晋哉

小さな頃から「人生は計画的に」と言われてきました。ずっと言われ続けてきたのですが、ここだけの話、ずっとピンときていません。37歳にもなってピンときていないということは、僕はもしかしたら馬鹿なのかもしれません。大人として未成熟なのかもしれません。とっても不安です。

しかし、皆そんなに綿密に計画した人生を歩んでいるのでしょうか。皆そんなに計画的な人生を歩みたいのでしょうか。人生が計画通りにいくとそんなに充実感があるものなのでしょうか。

僕は芸人になるために、浪人までさせてもらって入学した早稲田大学を3年で中退しました。そして芸人になって数年間の全く仕事のない状況から、2008年に初めてテレビに出て売れ始め、1年間全く休みのない状態になり、その1年後に売れ終わって仕事が無くなりました。何も残りませんでした。立つ鳥跡を濁さず。各方面から「消え方が美しい」と賛辞を頂きました。

自身の計画性の無さが招いた困難は、挙げればキリがありません。先ほど書いた簡単な僕の経歴の中にもあるでしょうし、皆さんも指摘したくなると思います。大学を中退せずとも芸人にはなれたのではないか。卒業しておいた方がその後の芸人としての仕事にも有利に働いたのではないか。前々からテレビに出た後のことをしっかり考えてネタやトーク力を磨いておけば一発屋にならなかったのではないか。こうやって言葉で書き並べると、ずいぶんと失敗や後悔だらけの人生のように見えてきます。

しかし、皆さんは「そんな馬鹿な」と思うかもしれませんが、そういった失敗や後悔も色々ひっくるめて、実は僕は幸せです。皆さんから見えている(もしくは見失われている)僕がどういうものであれ、いま僕は幸せです。

なぜ幸せか。それは計画性の無さから生まれた悪い事よりも、その悪い事から生まれた良い事の方が僕の中で強く印象に残っているからだと思います。

数年前、僕は『ななな』という詩集を出版しました。その詩集は、仕事が全く無い実生活を書くことに嫌気がさしていた当時のブログで、現実逃避するように綴っていた創作文を、出版社の方が見つけてくれて出版が決まりました。仕事が溢れていた頃にもそんなことはありませんでした。

仕事が無くなったという"悪い事"から、ひとつの"良い事"が生まれたのです。わざわざ出版社の方が、僕が出演していた小さなライブ会場まで来てくれて、熱心なオファーを頂いたのを今でも覚えています。この詩集を出版させて頂いたことは僕の一生の宝物です。

確かに計画性や明確なビジョンは失敗を少なくするためには必要かもしれません。しかし僕の経験から言わせて頂くと、時に人生は理不尽と言ってもいいほど人智を超えた力で、人を思わぬ場所へと運んでいくことがあります。何の失敗もしないことなんて不可能です。

そんな中で自身で作り上げた人生設計を信じ過ぎてしまうと、計画と違ってしまっただけでミスを犯したような気分になってしまい、その時の状況をまるで楽しめなくなってしまうのではないでしょうか。計画には無かった全ての困難の影には、たいてい何らかの宝物が隠れています。困難を楽しめなければそれが目に入らないかもしれません。

人生は計画通りに真っ直ぐだから素敵だなんてことはなくて、自分だけの形にどんどん歪ませていけば良いと思います。こんなことはもしかしたら胸を張って言うようなことではないのかもしれませんが、僕の今までの人生の重要な分岐点は、ハプニングや人との巡り合わせによって全て決定されてきました。しかしそれはそれで"僕にしたら"上出来だったように思います。あくまで"こんな僕にしたら"ということですが。

そう感じられている僕はラッキーなだけなのかもしれませんし、僕のように無計画に人生を進めるのが正しいとはもちろん言いません。ただ、人生で大切なことの1番は決して計画性では無い。

予想外の状況になった時、思い描いていた道からドロップアウトしてしまった時、尊敬できない自分を思わず目の当たりにしてしまった時に、その場を自分なりに前向きに考えて楽しめる、そんな、しなやかな心なのではないのでしょうか。


筆者プロフィール: 高木晋哉

お笑い芸人。早稲田大学を中退後、2003年に相方の池谷と「ジョイマン」を結成。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。趣味は詩を書くことで、自身のTwitterでの詩的なツイートが話題となっている。
7月7日にルミネTHEよしもとにて、15周年記念単独ライブ「ここにいるよ。」を開催する。